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⑤ 人間関係で世界を見る その5 関本塾 癌 うつ病 岡崎 sekimotojuku

できれば ①から見てください。
 
            人間関係で世界を見るーその5

動物や自然との関係は他者であり、私達でもあります。

 草花や動物・自然は基本的に、僕ら人間とは理解しあう事はできません。理解を超えた他者です。しかし時として、人間は他の生き物や自然からメッセージをもらいます。

 僕は夜空を見るのが好きです。オーストラリアやニュージーランドでは毎日見るのが日課でした。タバコの時間でもあるんですが・・。
満天の星、夜空に散らばる星達の輝きを見る時、人は感動します。この感動はどこから来るんでしょう。
 自分の中から?、それとも自然から与えられる?、。多分、両方でしょう。人間で無ければ感動しないでしょうし、人間〔私達)の力を超越した世界との出会いが無ければ感じません。
 毎日見ていると感動も薄れますが、若い時は興味が無かったありふれた自然にも心が動きます。(若い時は、異性やポップ・カルチャーですね、それが外の世界だったんです。それはそれで感動しました。)

 上の場合は”自然”に対して感じるものでしたが、自分の人生や経験から感じる他者もあります。例えば次の言葉です。 
 ”縁”という言葉。「縁あってこの人と出会いました」とか「縁があったんですね~~」の縁です。
 これは善意ある他者ですね。もし不幸と感じているのなら、この縁を感じることが出来ないと思います。が、おかれている立場・状況では無いんですね。たとえ刑務所に居ようが、感じる人は感じます「今この刑務所に居るのは、おかげさま、縁ありまして」となるわけです。(へんな例ですね)
 不満ばかりの人は悪意ある他者を感じるかも知れません。その人に生き方の問題もあります。確かに、”こうでなくてはならない”とか、望み希望が多かったり高かかったり・比較でものを考えたり、すると、周りの善意は気がつきません。
 しかし、自分に責任がすべてあるとばかりは言い切れません。人間は私達の存在から離れては生きられません、そういう世界に育ち・生きていかざるを得ない場合もあるからです。そのことは自然に触れて、どのくらい感動するかと同じですね。
 自分で何とかなりそうな、そうでなさそうな。僕はその辺のあいまいさが好きなのですが、人間の体そのものも、そういったバランスの上に成り立っているんです。

 必然的なこともあります。①忙しい事 ②入ってくる情報量が多い事 ③一人にならない事、④体を使わない事、をしていると誰でも自分ばかりの世界になり(自己が拡大〔エゴ〕し)、他の世界が無くなります。ストレスも感じます。善意の他者からのメッーセージを受け取れなくなるからです。現在はそういう時代なのです。
 それを避けるのは、その逆をすれば言いのです。するべき事を減らして、ゆっくりする・、現実から離れる時間を作るべきだと思います。なぜこんなにすっきり書くかというと、いつも考えているからです。現代の病気の原因がそこにあると思うからなのです。

 この自然や経験から来る他者は、信仰が在ろうと無かろうと人生を豊かにします。
 他者からのメッセージを、アメリカインディアンのラコタ族は、知恵・伝承として今も伝えています。しっかりした他者の存在を感じ、感動しました。以前ヤフーブログに紹介しました。よかったら見てください。

 伝承と言いましたが<大地の神>の事も含んでいます。アバウトに数式みたいに書くとこうなります。自分が中心の円になっていると思ってください。あくまで私が考えた<脳の認識領域>の全体像です。
自分+私達 > 他者 ≒ すべての世界・自然 ≒ 神(大地の)
 すっきりしてます。ですから、自然のような感動を覚えるんだと思います。

 現在の神・仏感を様式化してみると、
自分 > 私達 > 他者 ≒ すべての世界・自然 > 神・仏
神・仏がすべてをつつむ概念になるので、よく分からなくなると言えば、よく分らなくなるのです。

 無神論では
自分 > 私達 > 他者 ≒ すべての世界・自然 ≒ 理解できない世界

 日本人は信仰はなくても、ほとんど無信論者は居ないと思います。科学信仰や権威信仰ですね。ヨーロッパでは確信的無神論者が多いんです。徹底的に否定します。
 宗教が民衆を苦しめたり戦争をしてきた事なのでしょうか。ギリシャ・ローマの時代から、十字軍・宗教改革による戦争で、数百万(?)の市民が死にました。死を前に神の存在を徹底的に、合理的な答えを求め続けた結果でしょう。
 日本人は「仏の存在を証明しろ」、と僧侶に問いません。日本人は自分達より大きな意思の存在をどこかで感じていると思います。無神論はそれを否定する事だと思っています。上の図の関係のようにです。違うかな?。
 無神論の事を書こうと思いましたが、次の回<第3章 総論>で書くつもりです。無神論が建前のソビエトや中国。なぜ共産主義や社会主義はうまくいかず、キューバはそれなりにうまく言っているのか?、。面白いですよ!。 

 この他者を考える事は、一時でも人間が作った関係(現実)から離れることなんです。出来るだけ、実際の空気や触る事によって感じることが大事です。テレビや映画、パソコンで自然の映像を見ているだけでは枯れていきます。パソコンに噛り付いているようでは、本当のおいしさは味会うことの出来ないのです。僕毎日パソコンに噛り付いてますけど==!、休みはあまり触りません。
 
       ラコタの言葉  http://blogs.yahoo.co.jp/sekimotojuku/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=9  

若き日々、世界と生命を敬った。 心の平和があればよかった。
だが、知らぬ間に私は変わり、  イクトゥミの嘘を信じた。
イクトゥミは真実をすべて知っているように見えた。
そして、彼は私の幸せを約束した。

私は彼に言われるまま、ワカンタンカ(世界の創造主)に富を求めた。
力を手にするために    しかし、わたしは貧しさを与えられた
内なる強さを見つけるために

わたしは名声を求めた   世界がわたしを知るために
しかし、私は名もなき人生を与えられた  自分自身を知るために

私は愛する人を求めた   けっして独りにならないように
しかし、わたしは隠者の人生を与えられた  自分自身を受け入(愛する)れるように

わたしは権力を求めた   この手で成功を勝ち取るために
しかし、わたしは弱さを与えられた  従う(受け入れる)ことを学ぶために

わたしは健康を求めた   長寿がもたされるために
しかし、わたしは病を与えられた   一分の価値を知るために

わたしは母なる大地に力を求めた  思いのままに生きるために
しかし、わたしは弱さを与えられた  大地の尊さを感じるために

わたしは幸せな人生を求めた  日々の暮らしを楽しむために
そして、わたしは生命を与えられた  幸せな人生を生きるために

求めたものは何一つ手に入らなかった
だが、私の願いはすべてかなった
わたしも、イクトゥミも知らぬ間に
わたしの夢は果たされた
わたしは豊かな祝福を受けた
願った以上の祝福だった
ワカンタンカ(すべての創造主)よ、ありがとう
あなたが与えてくれたものに感謝の歌をささげよう     

へつづく  http://sekimotojuku.blog43.fc2.com/blog-entry-34.html  

 

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プロフィール

関本塾 岡崎市

Author:関本塾 岡崎市
愛知県の山奥生まれ、岡崎市に住んでます。そば屋を27年、足つぼマッサージ7年、三味線も弾きます。
 趣味はたくさん、山登り・音楽(作詞・作曲)・オートバイ・旅行(バックパッカー)・手作り工作・猫のミーちゃん・生物医学、などなど、
 癌になって気付きました。心と体の開放(生き生きする事)が1番大事だって!!

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