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ストレス うつ病 人間関係の悩み ④

        ストレス・うつ病 人間関係の悩み ー ④
   アダルト・チルドレンAC <依存・支配>と自立について
                        ー 前書きを読んでくださいー


 日本以外のアジアでは、家族に強い自己の存在を規定しているようです。アラブでは部族。アメリカはヨーロッパとアジアの中間に位置し。日本はアメリカ型のような中間の位置に近づいていると思います。
 つまり、日本社会の人間関係が、アジア型からヨーロッパ型に移行しつつあるのです。そこに世代のずれ、また個々の間での関係性をどう作ろうか、混乱が生じているのです。どうしたら理解され、どうしたら理解できるのか。
 
 熱血教師が生徒の体をゆすり「先生は真剣なんだ!」と、ツバを飛ばして話しても、時として生徒は理解できません。熱血教師は、まさに擬似親子関係を求め、生徒はそんな関係を求めてなかったりするからです。熱血教師は擬似親子関係を求める生徒だけ、「分かり合える・かわいい」と感じてもふしぎではありません。これは教師の生徒に対する<甘え>=依存でもあります。

 恋人募集中の彼女も、熟年カップルも、相手の求めている<関係の質>を知り、
自分の求めている<関係の質>を自覚すれば、さらに良い関係が作れるのではないでしょうか。


日本語独特の<世間>が意味するもの

 子供が電車の中でむずがると「ほら、あそこの知らないおじさんが怒るよ!」とか、別の場面では「親が泣いとるぞ」と、自分はしからないで、人が怒ると、しかるんですね。子供が何か欲しがるときには「みんなが持っている・僕だけ持ってない,買って!」となるわけです。
 その、よその人の代表が世間です。子供が言うことを聞かないと、「そんなことは世間が許さないぞ!」と言います。今では死後に近い言葉かもしれませんが、その概念は未だ健在です。
 この言葉は面白い言葉です。世間と言う、会社も事務所もURLもどこにも無い存在が、意見を言うのです。あたかも人が存在するかのように話します。
しかし、近頃あまり使われなくなりました。<隣家となんでも一緒の世界>が壊れてしまったからなんですね。つまり、世間とは、自分が同じ仲間だと思っている代名詞のことなのです。結局は、自覚できていない、間接的な自分です。
しかし、同じだと思える仲間がばらばらになれば、その言葉は使えません。
 そうなるとどうしても、「僕はこう思う、俺はこうする」といった、主語を使って話さざるを得なくなります。
 世間とか、みんながこうしてるという言葉は、自立してない部分を補う形で、自分の内側に存在している物の代名詞なのです。世間とは、実は自分が思っていることなんです。自分の考えた世界に、自信が無い、責任が取れない場合そうやって使ってごまかしていたんです。
と言うかそれが生きやすかったんです(正しいので無く)。
 
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人間関係うまくやるにはどうしたらいいのか

 結局、自立しかないんです。自分の体や頭さえ自由にならないのに、他人の事など、どうして自分の思うどうり行くのか。親や子供も自分とは違うのです。
そこが分かってくれば、少しはスッキリしてきます。それでも、自分だけの問題・欲の問題がありますね、欲は生きていく糧でもありますから。<楽しくて、悲しく・美しい>また次の機会に書きます。

 なぜ、自立が必要なだけなのに、こんなにくどくど書いたかと言うと、<自分は自立している>と、多くの人が思っているからです。その悩みの中に、この問題が深く関わっているからなのです。
 確かに、経済的には自立しているかのように見えます。しかし、社会の上部構造に行けば行くほど、自立してない人が多いと思うからです。
 それは、自立する機会<思春期>に、親からの援助に頼り、大学を卒業し、さらに大学院まで行く人達は、親と真剣に対峙し、格闘し、自分は自分、親とは違うという感覚、他者の存在の気づきが困難だからです。

 私は癌でしたから、たびたび病院にいきました。ドクターが今度はCTを取りましょう、とかエコー取りましょうと言うんです。私に「必要と思います、取りますか?」とは、絶対に聞きません。誰も聞かないから、そう聞きませんし、ドクターも聞かれても、自分に任せて欲しいのです。<依存と支配>の支配のほうです。患者は「お任せします・よろしくお願いします」、と言えばうまくいくことになっています。ここでも擬似親子関係なのです。
 そこで私は聞きます、「いくらかかりますか?」と言うと、ドクターも看護婦も知りません。慌てます、大体このくらいかな~~?、事務所に聞いてきましょうか?と答えます。 誰も聞かないから、知らないんですね。つまり、自分が払うべき金額を前もって知らないんです。誰も治療やその手段を、選択した人がいないんですね。

 しばらく経ってこう聞きました「カルテの公開をお願いします」。回りの全員が驚きます。この病院は地域の中核病院で公開を公示していたにもかかわらず、めったに無い事なのです。しかし、たとえ本人でも自由に見ることはできませんでした。
 カルテ公開委員会を招集し、複雑の条件の下、数週間後、私に見せるかどうか決定するとのことでした。
検査の結果、どのような治療がなされたか、私は知ることが自由にできないのです。
 カルテの公開は、本人なら<いつでも・何でも・何回でも>OK、でなくてはなりません。責任がどこにあるのか、明確にしない医療体制は現代のものとは思えません。。

 私が医者の立場なら、見せないと、何か後ろめたいことがあるのかと、疑われてる様でいやです。一方患者側は、何も言わないことが、信頼関係を作ると思っているのです。
こういう感覚は、擬似親子関係の中だけにいて、外側・他者がいない関係なのです。だから、外から見られることに自信が無いのです。
 何か聞くことさえ、病院・人を疑っているようでいやだ、と言う感覚・「おまかせします」と、いう依存体質が、患者の当然の権利を奪っているのです。
 そして当然、病院側のスタッフの中にも、擬似親子関係からはみだす人もいます。居場所を失って熱意を失ったり、辞めたり、古い関係性のスタッフとぶつかります。
こういう関係は患者にとって不利だけでなく、病院側・スタッフにとってもマイナスです。良い職場関係を作れないでいるのです。

ーーー以下⑤に続くーー

 

theme : モノの見方、考え方。
genre : 心と身体

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プロフィール

関本塾 岡崎市

Author:関本塾 岡崎市
愛知県の山奥生まれ、岡崎市に住んでます。そば屋を27年、足つぼマッサージ7年、三味線も弾きます。
 趣味はたくさん、山登り・音楽(作詞・作曲)・オートバイ・旅行(バックパッカー)・手作り工作・猫のミーちゃん・生物医学、などなど、
 癌になって気付きました。心と体の開放(生き生きする事)が1番大事だって!!

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