10月16日から31日までお休みします。


来週から16日から月末まで、研修のため関本塾と<はるみの>は休業します。よろしくお願いします。11月から再開です。どこへ?ヒントの図。それにしても宿が安い、どうなってるの?英語が通じないらしい、それはそれで・・問題なし。

自動代替テキストはありません。

もろもろ、僕のfavebookより



 昔、南の島で漁師をしている頃。浜でボーとしていると、小さな小枝がぷかぷかと流れ着いてくる。村の古老にどうしてと聞くと・・。渡り鳥は何千キロも旅をして海を渡る。クチバシに小枝をくわえて渡るのだそうだ。どうしても疲れた時、その小枝を海に落として、その枝にとまって休む。そして、またクチバシにくわえて旅をする。浜に流れ着く小枝は、力尽き海を渡れ無かった鳥が運んでいたのもの。ということだった。
切なさは大事ですね。日常のせわしない世界から、非日常の世界への扉を開きます。生き物の、生き死にを感じることで、ほど(適度・寛容)を知り、人は人間になっていくんですね。それは悲しい墓標ではないんですね。悲しさ・楽しさ、喜びんなん、人生。マリオ書きました。

  ツバメは凄いぞ!昨日今年初めてツバメを見た。高く飛んでる。多分もっと北に行く途中なんだろう。千キロ2千キロ普通に飛んでいく。多分疲れる。しかし弁当持たずに、カバンも持たずに飛んでいく。今日は幼稚園の入園式もあった。園児も入園すると朝ちゃんと起きなくちゃいけないし、あれこれ言われ、列作ったり、みんなでいしょに何かしなければいけない。これもまた大変だ。
そこで恵子さんに聞いた、どっちがいいか?園児とツバメと。んんん・・。やっぱ園児かなぁ・。ツバメは飛ぶように設定されてるから・・。そこで僕は言った。たぶん森山さんは笑って何も答えないだろうと。無理に聞くと答えはたぶんこうだろう、何故なら、そんなことありえないから。恵子さん笑った。
 人の命は生まれた時から引き算、だんだん命が減っていく。しかし、人としての喜びは足し算。感動する気持ちや慈しみの気持ち。幸せを学んでいく。最初から人はやさしいのじゃない。学んでいく、その方が幸せだから。そういう関係であってほしい。学校や社会がそうであったなら、会社も国家もやさしいはずだ。
 仏の慈悲と人間の慈悲では分けて考えます。人間には愛ですね。ですから、常に、どう考え昇華し、修行しても、自己愛から離れません。それと相対するのが神や仏の慈悲です。人の愛が悲しみを産婿とも絶望をうむことも、老病死から逃れなない事を、もがき苦しむことを、知って救いの手を差し伸べている事知る事・感じることが、仏教やキリストのの教えだと思います。共に嘆き苦しんでくれる存在です。決してエゴは捨てられません。人間はそのもがきの中にいるのです。それを知る事が仏智そのものです。まあ・・ストレスですね。

 これも勉強会で教えてもらった、知識だけどね。知ったかぶりの、知ったかブッタ!でも、ある出来事が自分に起きて、確信しています。15年ほど以前、僕はキリスト教における、贖罪はないといっていました。その時、ある友人の長老格の人が、いやあると言っていました。しかし今、僕は先に書いた意味で、贖罪はあるといいい。その人は、ヤッパリ贖罪はない、と言っています。面白いですね。扉が開いて、分ったと思った瞬間から。既に扉の外に立っている。何時までも、同じところ。それでいいと思えるのですが・・。それ以上はないんです。人間ですから。
 僕は<ささやかな・ひっそりした暮らし>とか<みんなが団結>そういう考えは嫌いだ。日常の何気ない、ほんの些細な行動にも、民の意思が現れ、少しづつ社会が変わっていく。大晦日にお寺に行ってお参りし、初詣に行って小銭を投げる。お葬式をしたり町内会で村の神社を維持する。何が問題なのか?王や伝統・文化を利用してお金を稼ごうとする集団は右翼ではない。夫婦・家族や国家・文化に愛を訴える新宗教に、あなたはどう反論するのか?同意するのか。未来は突然の独裁者によって決まるのではない。小さな善意と愛によって生まれる。

 教育実習をして、指導教諭にきつく注意されたこと。僕が生徒に向かって<わかりましたか?わかりましたね!>と強く言った事。反省を求められた。でもふつうに教師は言っている<わかりましたね>。理解を強要している。聞くだけなら良し。それが実習生にできるかどうか別にして、普通の教諭にできてるとは思わないけど正解。
繰り返し暗記させることはどうなのか。高校の古典の教諭はまず分法を暗記させて進んでいった。知らないから暗記するしかない。考え方や教育勅語を暗記させるのはどうなのか。思想を暗記させるのは洗脳としては正解だけど、民主主義の教育としてはダメ。考えることをなくすわけだから。
恐育実習(?)で学んだこと、もう一つ。生徒に近づきすぎない。若干、人の問題だから正解はないけど、相手がそう思ったり感じてないのに入り込むのは間違い。金八先生は昔の、強い関係を求める社会でのこと。教育は一人で生きていける力をつける事。そんなこと考えてました。お誕生日メールの返信からでした。なんかおかしいのかな・・・。

 高校卒業、めでたくもなし。考える。お金がない、大学行くかどうか?大丈夫、お金が十分なくても大学に行ける。ふうつは年間100万円ほどかかる、国公立も60万ほどかかる(入学金30万もいる)。違う!そんなに高く払わなくても大学に行ける。大学には昼間と夜と通信制と、インターネット大学がある。
因みに東洋大学は昼は入学金・授業料25・70万。イブニングコース、18・43万。通信、2.40万。バイトの時間の取り方によれば比較的楽に卒業できる。(文系です)
ネットはさらに安い。国公立大学は怠けている。イブニングコースが無い。奨学金もあるけど高校のペーパーテストができた子だけ、優遇するのは怠慢だ。教育者として怠慢だ。
金のない学生の皆さん、どうぞ胸を張って、<貧乏でも学校に入れさせろ>と叫んでください。あきらめる必要はないんです、勉強する気があるのなら・・。

 大学を卒業、めでたくもありめでたくもなし。どうする?希望の就職できなくて・・。大丈夫だよ。誠実に生きてりゃなんとでもなる。普通というのが無いんだな~~人生は。みんないい学校へ行こうとして、みんないい会社や組織に就職しようとする。同じように結婚し、同じように幸せになろうとする。同じはないんだな==、。日本の学校は同じ服装で同じことができるように教育する。無理だ・・。実社会は違う。たとえば貯金。同じようにスマホ代払って、同じようなアパートに住んで、外食飲み食いする。貯金が出来るわけない。企業が価格を設定するのは、普通の人か消費できるぎりぎり高い価格を狙って、よりたくさんの消費をあおり販売するわけだから。それにつられていたら預金はできない(宣伝・広告の商品の事)。みんなと同じって発想は、自分もそうでなかったらみじめって事で、悲しく感じる。しかし、それに合わせたらいくら稼いでも貯金はできない。
まともに就職できなかった皆さんに僕は言いたい。みんなと違ったスタートは、それだけで、自分の人生がやっとできるって事だ。僕がそうだからね。みんなと同じと普通の暮らしはないんです。
 

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サヨナラの後で

『さよならのあとで』

                     ヘンリー・スコット・ホランド

 

死はなんでもないものです。

私はただとなりの部屋にそっと移っただけ。

私は今でも私のまま あなたは今でもあなたのまま。

私とあなたは、かつて私たちがそうであった関係のままで これからもありつづけます。

私のことをこれまでどおりの 親しい名前で呼んでください。

あなたがいつもそうしたように 気軽な調子で話しかけて。

あなたの声音を変えないで。

重々しく、悲しそうな 不自然な素振りを見せないで。

私たち二人が面白がって笑った 冗談話に笑って。 人生を楽しんで。

ほほえみを忘れないで。

私のことを思ってください。

私のために祈ってください。

私の名前がこれまでどおり ありふれた言葉として呼ばれますように。

私の名前がなんの努力もいらずに自然に あなたの口の端にのぼりますように。

私の名前が少しの暗いかげもなく 話されますように。

人生の意味はこれまでと変わっていません。

人生はこれまでと同じ形でつづいています。

それは少しも途切れることなく これからもつづいていきます。

私が見えなくなったからといって どうして私が忘れられてしまうことがあるでしょう。

私はしばしばあなたを待っています。

どこかとても近いところで。

あの角を曲がったところで。

すべてはよしです。

 

【週報コラム】   おすすめの一冊 

  Y M

 

この詩の作者は、ヘンリー・スコット・ホランドで、英国教会の神学者であり、経済や貧困、戦争などの社会問題について思索した哲学者でもありました。

昨年、この本に出会って何度か読み返し、早速数冊購入して手元に置いておきました。そして、親しい友人が連れ合いを見送った時に送りました。

悲しみをやわらげてくれたら、という祈りをもって!

お休みのお知らせ

4月10日から25日までお休みします。大変ご迷惑をおかけします、なにとぞご勘弁願います。以下facebookにのせたもの。

昔、南の島で漁師をしている頃。浜でボーとしていると、小さな小枝がぷかぷかと流れ着いてくる。村の古老にどうしてと聞くと・・。渡り鳥は何千キロも旅をして海を渡る。クチバシに小枝をくわえて渡るのだそうだ。どうしても疲れた時、その小枝を海に落として、その枝にとまって休む。そして、またクチバシにくわえて旅をする。浜に流れ着く小枝は、力尽き海を渡れ無かった鳥が運んでいたのもの。ということだった。
 切なさは大事ですね。日常のせわしない世界から、非日常の世界への扉を開きます。生き物の、生き死にを感じることで、ほど(適度・寛容)を知り、人は人間になっていくんですね。それは悲しい墓標ではないんですね。悲しさ・楽しさ、喜びんなん、人生。マリオ書きました。

 ツバメは凄いぞ!昨日今年初めてツバメを見た。高く飛んでる。多分もっと北に行く途中なんだろう。千キロ2千キロ普通に飛んでいく。多分疲れる。しかし弁当持たずに、カバンも持たずに飛んでいく。今日は幼稚園の入園式もあった。園児も入園すると朝ちゃんと起きなくちゃいけないし、あれこれ言われ、列作ったり、みんなでいしょに何かしなければいけない。これもまた大変だ。
 そこで恵子さんに聞いた、どっちがいいか?園児とツバメと。んんん・・。やっぱ園児かなぁ・。ツバメは飛ぶように設定されてるから・・。そこで僕は言った。たぶん森山さんは笑って何も答えないだろうと。無理に聞くと答えはたぶんこうだろう、何故なら、そんなことありえないから。恵子さん笑った。

 人の命は生まれた時から引き算、だんだん命が減っていく。しかし、人としての喜びは足し算。感動する気持ちや慈しみの気持ち。幸せを学んでいく。最初から人はやさしいのじゃない。学んでいく、その方が幸せだから。そういう関係であってほしい。学校や社会がそうであったなら、会社も国家もやさしいはずだ。
 仏の慈悲と人間の慈悲では分けて考えます。人間には愛ですね。ですから、常に、どう考え昇華し、修行しても、自己愛から離れません。それと相対するのが神や仏の慈悲です。人の愛が悲しみを産婿とも絶望をうむことも、老病死から逃れなない事を、もがき苦しむことを、知って救いの手を差し伸べている事知る事・感じることが、仏教やキリストのの教えだと思います。共に嘆き苦しんでくれる存在です。決してエゴは捨てられません。人間はそのもがきの中にいるのです。それを知る事が仏智そのものです。まあ・・ストレスですね。

 これも勉強会で教えてもらった、知識だけどね。知ったかぶりの、知ったかブッタ!でも、ある出来事が自分に起きて、確信しています。15年ほど以前、僕はキリスト教における、贖罪はないといっていました。その時、ある友人の長老格の人が、いやあると言っていました。しかし今、僕は先に書いた意味で、贖罪はあるといいい。その人は、ヤッパリ贖罪はない、と言っています。面白いですね。扉が開いて、分ったと思った瞬間から。既に扉の外に立っている。何時までも、同じところ。それでいいと思えるのですが・・。それ以上はないんです。人間ですから。

 僕は<ささやかな・ひっそりした暮らし>とか<みんなが団結>そういう考えは嫌いだ。日常の何気ない、ほんの些細な行動にも、民の意思が現れ、少しづつ社会が変わっていく。大晦日にお寺に行ってお参りし、初詣に行って小銭を投げる。お葬式をしたり町内会で村の神社を維持する。何が問題なのか?王や伝統・文化を利用してお金を稼ごうとする集団は右翼ではない。夫婦・家族や国家・文化に愛を訴える新宗教に、あなたはどう反論するのか?同意するのか。未来は突然の独裁者によって決まるのではない。小さな善意と愛によって生まれる。

 教育実習をして、指導教諭にきつく注意されたこと。僕が生徒に向かって<わかりましたか?わかりましたね!>と強く言った事。反省を求められた。でもふつうに教師は言っている<わかりましたね>。理解を強要している。聞くだけなら良し。それが実習生にできるかどうか別にして、普通の教諭にできてるとは思わないけど正解。
繰り返し暗記させることはどうなのか。高校の古典の教諭はまず分法を暗記させて進んでいった。知らないから暗記するしかない。考え方や教育勅語を暗記させるのはどうなのか。思想を暗記させるのは洗脳としては正解だけど、民主主義の教育としてはダメ。考えることをなくすわけだから。
恐育実習(?)で学んだこと、もう一つ。生徒に近づきすぎない。若干、人の問題だから正解はないけど、相手がそう思ったり感じてないのに入り込むのは間違い。金八先生は昔の、強い関係を求める社会でのこと。教育は一人で生きていける力をつける事。そんなこと考えてました。お誕生日メールの返信からでした。なんかおかしいのかな・・・。

 高校卒業、めでたくもなし。考える。お金がない、大学行くかどうか?大丈夫、お金が十分なくても大学に行ける。ふうつは年間100万円ほどかかる、国公立も60万ほどかかる(入学金30万もいる)。違う!そんなに高く払わなくても大学に行ける。大学には昼間と夜と通信制と、インターネット大学がある。
因みに東洋大学は昼は入学金・授業料25・70万。イブニングコース、18・43万。通信、2.40万。バイトの時間の取り方によれば比較的楽に卒業できる。(文系です)
ネットはさらに安い。国公立大学は怠けている。イブニングコースが無い。奨学金もあるけど高校のペーパーテストができた子だけ、優遇するのは怠慢だ。教育者として怠慢だ。
金のない学生の皆さん、どうぞ胸を張って、<貧乏でも学校に入れさせろ>と叫んでください。あきらめる必要はないんです、勉強する気があるのなら・・。

 大学を卒業、めでたくもありめでたくもなし。どうする?希望の就職できなくて・・。大丈夫だよ。誠実に生きてりゃなんとでもなる。普通というのが無いんだな~~人生は。みんないい学校へ行こうとして、みんないい会社や組織に就職しようとする。同じように結婚し、同じように幸せになろうとする。同じはないんだな==、。日本の学校は同じ服装で同じことができるように教育する。無理だ・・。実社会は違う。たとえば貯金。同じようにスマホ代払って、同じようなアパートに住んで、外食飲み食いする。貯金が出来るわけない。企業が価格を設定するのは、普通の人か消費できるぎりぎり高い価格を狙って、よりたくさんの消費をあおり販売するわけだから。それにつられていたら預金はできない(宣伝・広告の商品の事)。みんなと同じって発想は、自分もそうでなかったらみじめって事で、悲しく感じる。しかし、それに合わせたらいくら稼いでも貯金はできない。
まともに就職できなかった皆さんに僕は言いたい。みんなと違ったスタートは、それだけで、自分の人生がやっとできるって事だ。僕がそうだからね。みんなと同じと普通の暮らしはないんです。

臨時営業時間変更

3月5日、日曜日、はるみのと関本塾は午後3時ぐらいでお店を閉じます。よろしくネット。
通常当店は月・火定休日。営業時間は10時半から夜8時までです。

それと、春と秋に半月ほど長期休日を取ります。
世の中、ブラックや灰色が話題にのぼりますが、うちはホワイトってとこかな・・。

そんなに働かなくても、一食2千円だの5千円だの、高級食材・産地直送、新鮮だの、
何とかシェフだの、高いもの食べんでも、おいしいもんは・お安くていごごちのいいレストランは いくらでもあるのだ。


テレビやマスコミ・ネットに騙されないで・・。一食500円でお良いしいものが食べられる。その分だけ働かんで時間を自分のものにしよう。
それが豊かさ、それが、本当のグルメの選択なのだ、そう思うのでした。    

ハルチャンが亡くなった。

 ハルチャンが亡くなった。先日お兄さんのとこで聞いた。彼は生きてる事も死んでる事も知らせたくないらしく、勝手に死んでいった。3年前に亡くなったそうだ。統合失調症で成人してから数年で病院に入院。<青の会>に係わっていた。ずーっと病院で過ごした。家族しか会えない閉鎖病棟で、僕も何度か家族と言う事で会ったけど、お兄さんに行くなと言われ、最近行かなかった。僕に後悔はない。僕は田舎の中学を卒業して町で下宿生活、束縛のきつかった母から離れ自由になった高校生活。自由な分、不安が多かった。悪い先輩のおかげで1年もたたずに下宿を追い出され、それ以後あちこち転々とした。まあ、ホームレス状態の高校生。ハチャメチャな生活だった。

 そんな時に彼と出会い、1年以上べったりと行動し、悪い事も良い事も一緒にした、家出まで一緒にした。勉強以外の事や家族以外の人間関係をしっかり勉強させてもらった。僕はどちらかと言えばアクセル、彼はブレーキ役が多かった。大学生に交じってステージで演説して、デモの先頭で旗振って、よくもまあ警察に捕まらなかったな~~と思う。毎日毎日、毎晩、遅くまで何かしらして遊んでいた。強烈な思い出は、今でも頭にこびりついている。この頃の考えとは全く変わってしまった、思い出も思想じゃない、感覚なのだ(意味不明ですが前後で書きます)。

 大学の時に突然発病、駆けつけると、チアノーゼ状態。自分で呼吸を止めようとするほど重症だった。まったく何もできなかった。病気の原因は自分にもあるかもしれないと、病気を勉強し始めた。精神的な病気とは、その頃からの付き合い。彼が病院で過ごした毎日、どんな思いだったのか知らないけど、たぶん、それなりに満足して死んでいったのだと思う。不幸じゃなかったと思うよ。グッバイ、ハルチャン!

お休みします。ゴメン!


病気を治すには、と考えるより、病気にならに方が賢い。
関本塾は基本的にに自分で治す、治療者に依存しない、とう言うことで。

そういうわけで、10月24日より11月8日までお休みします。
休みは普段より疲れるのだった!

それでも地球は回っている

最後に・・。
 家族の所で書きましたが、今の時代、家族だけでなく、世界が閉じていっているようですね。人が自由に行動し、ネットで多くの人と交わるようになると、自分の好きな人とだけ交流します。好きな事だけして、好きな物だけで生きられる世界は、色んな人を作り、多様性が生まれます。しかし、だからと言って多様性を認められる社会になる、とはかぎらないのです。マア、言ってみればタコツボ社会ですね。<村社会>が<タコツボ社会>に変わっていくだけかもしれません(これは、これで、面白い気がしますが・・)。その中にいると気が付きませんが、回りとの壁を高くして、寛容をなくす世界です。<互いの違いに感激し、喜びや悲しみを共感する世界に人は生きている>、と思っている私には残念な事です。だけんども、<地球は回っている>のです。
 
 まっあっ~~最後にもう一つだけ。僕は今までに様々事、書いたりして発言してきましたが、結局人間は一生で言いたい事は一つだなぁー・・と感じます。僕にとっては、これ、<すべての物の関係性です>、それを見ていく事なんです。すると、猫もザリガニもムカデも鳥も、同じように生きて死んでいく。人間にとって楽しい事は他の生物にも楽しい。他の生物が楽しい事は人間にも楽しい。つまり人間だけが楽しい事は、あるにはあるけど、それはその分だけ人間は重荷を背負って生きてるって事かな・・。そこからが重要で、重荷を下ろす解放+アルファが<人間やってて良かったの感動>なのかな~~と思います。

 その+アルファはちゃんとあるんです。私の住んでいる世界は<何かを得るために、何かを失う>・<幸せの量が決まっている(何かが恵まれると、何かが恵まれない)>、良い事と悪い事はプラス・マイナス・ゼロではない世界なのです。絶対的にプラスの世界です。その扉を開く一つの鍵が、自立です。(チョットくどいかもね!。デモね、感覚の事はくどくど言わないと分からないのです。くどくど言っても分からないんですから。物理や化学の理解とは違うんです。それが言いたくて書いたんですから!。宗教はそこで修行と言う発想が生まれたんです。つまりこの文を読む事は修行なんです。)
 
そのプラスを、それを僕は解放(心と体の)と呼び、それを皆さんに味わってもらいたい。そう思って毎日のように話しているのです。クドイ!、これは、そんなこんなのまとめです。どうだったでしょうか?そんなに大事なことなの?と、思いましたぁ?。そうなんです、僕にとっては大事な事なのです。読まれなくても理解されなくても大丈夫、書けた事で十分満足しています。人は、それぞれで良い。そうやって、違いを認める・認められるともっと楽しいのです。

 そんな感じが自立なんですが、自立しすぎてもカワイくないし。自立したり依存したり、行ったり来たりが良い!。考えながらフラフラしながら生きるのが良い!。私はフラフラしてます。そうやって、世界をフラフラ歩いているわけです。約50ヶ国、おいしい物食べるわけでも無く、贅沢するわけでなく、貧乏で最悪の旅をするわけです。何で行くの?、よく言われます。外国の事、知ったり見たりするんだったら、別に行かなくていいんです。しかし、そこに住んでいる人の感覚や関係は、実際に会って話さないと分かりません。そして、その関係の輪に入るのに、三味線。三味線がすごくいいんですね。面白いですね!まったく違う文化を持って行くと、なじみやすいのです。外人に凄くモテルんです。同じじゃダメなんです。

 初めに自立の感覚を知ったのは、ドイツ人の友人やヨーロッパ系の友人からでした。凄く感化されました。北欧はなじめませんでしたけどね!。デモね、本当に生理的に感覚的理解したと思ったのは、日本人の沢山の友人からだったんですよ。実は、!。<そこにあっても、そこに見えなかったんですね>。えっ!友達って神様の事?、そういう事で、感謝!感謝です。
御静聴ありがとうございました(?)。

2 <多様性の重要 。違いを認められないのは何故か?>

 私は、社会や身内での諍い(いさかい)を、こうした生物的な必然と捕らえています。同化したいけど同化できない。同じである事を求めるけど、同じにはならない事です。それが、人間の病む元々の原因です。ですから、すべての事に初めから違いを認め、寛容と多様性を求める事が重要なのです。みんな同じ考えなら戦争は起きない、のではないのです。みんな同じにしようとするから戦争は起きるのです。
 人間は同化と異化のシステムが激しく発展したために、自己が肥大し・欲望は増加しました。人間の文明は同化や異化の発展した形です。その幻想を具体化したものです。例えば<野生動物はお腹一杯で満足しますが、人間はお腹一杯でも、もっともっと、と、おいしい物を食べようとします(ですから肥満は必然です)。又、一生かかっても使いきれないほど貯金しても、まだお金が欲しいという様な事です>。生物としての感覚が狂い始めたのですね。それが現代の<幻想に囚われた感覚>です。社会が急速に変化しているため、頭では分かっていても心がついていかない<時代感覚のズレ>でもあります。

 今まで書いてきた事、政治や権力・支配、権威主義、親子・友人の問題、恋愛問題・嫁姑問題も、基は同根です。生命としてのエネルーギーが、プラス(同化)に働いたりマイナス(異化)に働いているのです。この原稿を書いているのも、この世界を取り込みたい(理解したい・同化したい)という事なのです。そして、それを発表したり本にすることが異化です。その要求がものすごく拡大してしまったのが、今の人間。それが、なかなか理解できないのが人間。それを認識する事(生物的な理解をする)、それが感覚的理解です。それは人に因っては理解出来なかったり、時・場合によっては、時間がかかるのです。

 つまり欲の増えた分だけ、他の生物よりもあえて、何でもしようと思えば出来る時代になればなるほど、程ほどで満足する事を覚えたり、違いを認め、寛容と多様性を求める自覚が重要なのです。それを解く一つの鍵が(※1)、<ゆるい依存と支配の関係、自立>です。それが出来ないと、ストレスとなって、生き難い社会に住む事になります。この<生き難い社会に住む事>と言う言い方の理由は、<自分の認識の中>が、あなたにとってのこの世界であると言う事です。つまり、この世界は認識に因って変わると言う事です。
 
当たりまえちゃー当たり前。しかし分からん人には分からない。この場の私としては、理解されない事、それを認めるッチュー事ね!。
 そこら辺のところが(生物としての・・)、思想では動かない、感覚として納得しないと動かない、生物としての人間なのです。感覚というと、フラフラして安定しないもののようですが、実は生物と人格の間を行ったり来たりする、重要なものです。その感覚が、より自覚され、より開放していく手段の一つが、自立という考え方です。人の楽しみは、スポーツあり冒険あり、小説・絵画・音楽、宗教など、言葉や法則・学問では十分表現できないものです。それは感覚の世界です。最も人間的といわれる元なのです。囚われた感覚から解放されて、生を存分に楽しみましょう!。生は喜びや感動そのものなのですから!。

(※1)この鍵は、自然を深く観察したり、旅をして異文化を知るとか、正しい信仰を持つ事でもいいし、きっかけは何でもありですね。
(※) フロイトは人の根源を<リピドー>と言う性的衝動に求めます。その弟子ユングはそれだけでは無いだろーと言う事で深層・潜在意識を加えます。私はより生物的な<同化と異化>に求めているわけです。 
(※) ここでは主に世界観としての感覚のズレを取り上げていますが、肉体的な感覚のズレもあります。少しだけ書きます(基は同根だと思いますが・・)。眠くても眠れない、食べても食べても満足できない、異常がないのに痛みを感じる、異常が無いのにだるい・疲れる、と言った感覚です。これは、システム異状による病気のようなものだと思います。大きな病気の原因になるものです。それには感覚の刺激が有効だと思います。徹底的に歩く事とか、痛みを使う<中国観趾(かんし)法(痛い足つぼですね)> が有効だと思い、それを利用しているのが関本塾です。
 (※) ここでは感覚の事と自立の事を並列に書いていますが、卵と鶏の関係にあるからです。自立に向かうと自分の感覚のズレが認識できるし、感覚のズレが自覚できると自立に向かっていると言う事です。オバケが怖くなくなると大人になってる事であり、大人になるとオバケが怖くなくなる、みたいなものです。分かりやす!。でもね~~!最近大人になってもオバケ信じてるんだもんな~~!。

<多様性の重要 。違いを認められないのは何故か?>  


 <多様性の重要 。違いを認められないのは何故か?>
 自他の認識。これは細胞レベルでの認識は、各細胞にMHC(主要組織適合遺伝子複合体抗原)があって、これを免疫細胞(白血球)がチェックしています。MHCはタンパク質の一種です、人のほとんどの細胞の中にあります。これが自分と自分以外のものを区別して、異物を排除したり殺したりして健康を保ちます。自分の細胞の異常を感知して健康に保つ免疫システムの基準になります。これは生物の基ですね。生き物として成り立つか?生物として生きていけるか?の判断は<自分であるか自分でないか、自分は誰?>なのです。それを発生の段階から判断しているのです。この課題は、カント・デカルト・パスカル・ソクラテスと知識の世界へと受け継がれて行くのです(話しの軸は違うけど、同じ様なもの)。
 
どの生物も、このシステム(自分であるかないかの区別)がないと生存できない、生まれてきません。しかし、手・足が無くても脳が無くても子供は生まれてくるのです。それはさほど重要でないからです。障がいが在っても生きられるかどうかは、その後<私達>となった人類が荷う課題なのです。<自分とは何か?>が重要なのです。しかも、それを胎児の段階で、胎児自身でしてるのですよ。母体も異物である胎児を成長するまで、このシステムにブレーキをかけ、酸素や栄養を供給し続けるのです、人の意識でしているのではないのです。なんかすごいでしょう!この感覚は私だけかな?。(最も人間的なテーマだと思われてた事が、実は生物の根源であったわけです)

 ですから、臓器移植はこの異物排除のシステムをいかにして抑えるかが、究極の問題なのです。又、インフルエンザに罹ると異物排除で鼻水などの症状が出るのです。癌細胞が増殖し抑制されないのは、がん細胞も自分の細胞だからです。その異常が見分けられないからです。現在の病気の多くは遺伝子異常又は、こうしたシステムの狂い、プログラムの異常です〔内分泌系(ホルモン)等も〕。各器官・臓器の異常ではないのですから、薬ではなかなか治らないのです(これも書き始めると長いので割愛!。ここに関本塾の意味があると思っているのですが・・。)

 つまり、体はいつも自分か自分でないか、チェックしているのです。人間はこうした細胞の発展系ですから、人格と言う自我も、いつもそれをしています。他人と話す時、「何歳?出身は?どこの会社?どこの学校?どこの誰?」と思うのは、自分との共通する物と違う物とを識別しているからです。自分が食べる物なのか、共存すべき物なのか、敵なのか、無視できる物なのか、と発展していきます。生物的に言うと<同化と異化>。それが人で言う認識(世界の理解)の事です。

 その認識により、そこに文化、小説・音楽や絵画・思想などが生まれてきます。ちょっと、ショート・カットして書いてますけど。マア簡単に言うと、他人を認識する事により、自己や自己主張、他人への理解・要求が生まれるのです。関係が生まれるのです。赤ちゃんの発達がそのものですね。

 この自己認識・同化・異化(異物排除)のシステムは、そのまま人間社会に反映します。例えば、大人になると自分にふさわしい相手を求めて社会に出て行きます。そして、好きな人とはキスをして一緒になろうとしますが、嫌いな人とは離れようとします。愛しい人の唾液や汗の物はあえて求めますが、他の人の唾液は不快に思い、避けます。上手く行くと、異物であるはずの精子と卵子が一体化します。しかし、結婚してもいつまでもベタベタくっついていると、反発してケンカになったりします。結婚しても、自分と相手とは異物、元々違って居るからです、同じではないからです。それを簡単に言うと<人は近づこうとして近づき、しかし近づきすぎると反発します>。初めは<おもてなし>で、近づきますが、近すぎると、<うっとおしい!>関係になるのです。そして、その関係が、この原稿の初めから書いている、依存と支配の関係を作っていくのです。

<みんなの遺伝子がこの社会を作っている>

 
 生物の定義はいろいろあって決められませんが、私はメタポリズム〔同化と異化(狭義では代謝)〕だと規定しています(ウィルスはチョット違うけどね)。生物はエネルギーを取り込み、様々な形でそれを放出します、しかし、エネルギーを少しだけ余分に蓄えるシステムです。エネルギーを蓄積し、自己再生のエネルギーとし、余分に蓄えたエネルギーに因って、以前より数が増えて行くシステムです。これが地球型生物と言う事だと思います。このシステムに因って、植物は大きくなり林が森となり。昆虫や動物は子供を生み数が増えていきます。生物がいくら進化してもこのシステムは変えられません。地球上のあらゆる生き物は(今の所ですが・・)このシステムで動いているのです。植物も動物も遺伝子の半数は共通していると聞きましたが、元は一つの生命だったんでしょうか、面白いですね。

 つまりいくら人間ががんばっても、この次元世界から逃れられません。人間は他の生物と違って、自分の肉体以外のものに、自分の行為をさせたり、置き換えをしたりしています。自分がするの代わりに、他人や機械にしてもらって自分は楽をしようというわけですね。そうして文明を作ってきたのです。ですから、文明のシステムは、社会の構造もコンピューターの(ハードもソフトも)システムも、細胞や体のシステムとほぼ同じに作られているのです。

 使いやすい道具とか、分かりやすいパソコンとは、人のシステムにより近いと言う事です。人が理解し易いと言う意味は、自分の中に同じような物をすでに持っている事です。ハードディスクやメモリーは、脳の記憶回路が現在の情報量を蓄積できないので、その代わりに作った、それだけ情報を貯めたいのです。それも同化です。自分のパソコンのデータを見て下さい、それがあなたの脳なんです。テレビ・ラジオもインターネットも、あなたの細胞が欲しているから存在しているのです。

 つまり人間の社会システムや思考・行動は、人が単細胞であった30数億年前の生き物の構成に因っています。生命の誕生以来幾度かの絶滅の危機を乗り越えて、現在の人類が生き延びている事に驚きを感じます。

 この生き延びてきた生命は、世代交代という環境に応じて個体を変える事と、種を維持するために情報を伝え合うという、方法を採ってきました。それが遺伝子の変異と雌雄の違いを作ってきました。(この辺詳しく書くと別な読み物になるので割愛します)。私はこの情報を取り込み、共有化するシステムを同化という言葉で広い意味で使っています(食べて大きくなる事も同化です)。 

 人類の雌雄が出来て3億年経っているようですが、それ以前の生物も、様々な単細胞生物も何らかの手段で情報を交換し、<同じであろう・種として維持しよう>というのが生物の宿命です。個体の雌雄差が出来たのは、結婚してコピーを作るという事です、優秀な遺伝子を交換して同じであろうとします。

 生物として同じであろうとする限り、人類にとって差別や支配は生物的な営みではないのです。と言うのは、人間は個人(個体)では生を語る事では不十分で、個の生+種の生命と2つの生に因って出来てるからです。ですから、自分の仲間は食べないし、殺さないんです。逆に考えると、支配し差別が遺伝子由来のものならば、それらはいつでも互いに争いあい、生存は難しいのです。戦争好きが遺伝子由来なら、人類は戦争ばかりして文明は持てないし、とっくに滅んでいるのです。

 映画で悪い支配者がやっつけられるのを見て感動したり、戦いの末自由を得た人間を見て感動するのは、そうした生物としての元々の感覚なのです。ですから逆に、今、人の自由を奪っていたり、人に対して差別している人は、その時点で自分の生に対して満足できないでいるのです。または不安に感じているのです。いつ自分や家族を殺されるかの不安を抱えながら生きるのは、支配で得られる快感より辛いのです、結局枕を高くして寝れない。私怨の無い殺人は、本来出来ないのです(戦争の事です)。

 たぶん1万年以前までは、人の営みは10~200人程度の集団で700万年ぐらい続いていたのだと思うのです。それが急に現在、1億の単位になって、上手く集団を動かす能力が無いのです。今の我々人類には無いのだと思うのですが・・、その新たな手段として民主主義制度が生まれたのかもしれません。人類は元々同じになろうと言う力(理解し理解されよう・認め認められようとする力)が働いている限り、平等や平和を求めそれに近づこうとするのです。(ただし、食料が十分に無かったり、狭い所に閉じ込められると状況が変わってきます)中国も共産党支配・北朝鮮の独裁もいづれ終わるのです。崩壊の理由は、それは支配者自身が苦しいからです。

 では何故、様々な軋轢がおき争いが起きるのか?と言いますと、生物には(同化の他に)もう一つ重要な要素があります。それは自分と他を区別すると言う事、<異化>です。細胞レベルで言うと細胞膜が外の世界と自分とを区別することですが、人間になるともっとズーット高度(?)になって、自己と言う認識が生まれます、<私>です。他者を区別し排除する意識の元ですね。そして、<私>という認識から、<私達>と言う、擬似的な自分の拡大版の世界が生まれるのです。人間はそこに住んでいるのです。<私>の世界ではなく、<私達>の世界です。

 その<私達>の世界が<依存と支配>の世界です。その世界を広げる・その認識や理解の質やズレを課題として、他者の世界を認識して行く事が自立(正確に言うと自立という感覚)です。

44-2 外国人が好きな、FUSSYな日本人?

 さて、欧米人に日本人はどう思われているか?これ日本人好きですね。どう思われようとかってだ~~!、と言うのが私の考えですが、実は私も好きなんです。先回の旅でも言われました。たまたま、私がゲスト・ハウスのワイ・ファイの暗号を覚えていて、知り合った欧人のスマートフォンに10桁の暗号を打ち込んだのです。すると、Fussy!と、感動されました。たまたま覚えていたんですが、日本人らしいと思われたのですね。

 fussyはfastidiousの類語、<うるさい、こせこせ、むなしい>等ですが、おおよそ<好き嫌いが細かい事>を言います。ちょっとネガティブですが、なんと!これが世界中で大受けしているんです。今までは富士山・芸者が日本の代名詞でしたが、最近は日本をよく知り、日本語を理解する外国人が増えてきました。旅先で三味線を弾いていると、飛び上がるように私に駆け寄ってくる人を見ると、なんだかうれしくなります。以前のように日本人というと、車の国だよね、とか言われる事は少なくなってきました。文化もしっかり輸出しているのです。

 日本のこだわりは、ガラパゴス化ですね。お米の銘柄にこだわる事や、精巧なフィギア(人形)・多機能な電子機器・食べ物へのこだわりです。日本人は何事も、いい加減・おおらかではなく、物にすごくこだわるんです。日本は世界から見ると<Unusual, so different(普通じゃない!、すごく違っている!)>で、びっくりなのです。日本人にとっては普通で、そう言われると意外なんですが、世界から見ると日本の文化は当たり前ではないんですね。ですから私は、物については、これからも、う~~~んとガラパゴス化していけば良いんだと思っています。そうでないと、世界と同じ基準で物を作っていったなら、他の輸出国に代わっていってしまうのです。<おもてなし>も、旅館の過剰な接待もそのまま進めばいいんです。私は嫌いですので、みんな同じ事してもらっては困るんですけど・・。

 最近は円安も手伝って、外国人旅行者が増えました。日本式の居酒屋も大人気だそうです。確かにパブぐらいしか無い欧米から見ると、様々タイプの飲食店はビックリでしょう。でも、未だに多くの外国人は、日本は物価が高いと勘違いしてます。実は世界の先進国で最も物価が安いのです、これも近くに中国があったおかげだと思いますが・・。外国人に会うたびに、日本は面白いよ・安いよ、絶対おいで!と、日本を宣伝してしまうマリオなのでした。

※ アメリカのファッション雑誌に<ボーグ>というのがあります。モデルがポーズをとって写っていますが。しかし、彼女たちの顔は決して笑顔ではありません。パリコレもファッション・ショーでもモデルの顔は、何故か怒って居るように見えます。私は不思議でしょうがありませんでした。日本人の感覚では理解できません。何故彼女らは笑顔でなく、怒っているのか?。自立や感覚の事を学び始めて分かりました。彼女達の生きている世界は、男性や他人に媚を売らなくても生きていける・生きていこうとする世界だったんですね。ありのままで、自分を誇れる、そういう野生的で美的な顔だったんですね。(この反対が、幼さを演出する<カワイさ>です、この話も長くなりますので割愛!)

人の誕生、2足歩行・何故自我を持ったのか?前の続きです。 ②中国観趾法


 <恋愛>は人にしかわからない。他の霊長類には生殖行動前後の長い期間に、オス・メス特別の関係はないからです。人は性の隠匿から始まる関係(恋愛と言う関係)は、子育ての準備、役割分担を決めるために必要な儀式なのです(一夫多妻でも同じ)。その儀式を通して音楽や言葉が生まれてきたのだと考えます。深い役割分担の関係は、より細かな情報の共有化が必要だからです。つまりそれぞれが1っ個体として生きられるのなら言葉は生まれない、と言うことです。よく話す人は寡黙な人より、他人の協力を必要とする生き方をしている、と言うことですね(気持ちの上でも生活の上でも)。現在は言葉より社会としてのシステムが、言葉の代わりをしています。だから現代人は疎外感を持つのです。

 ですから、人には肉体的に生殖可能になる成長と、異性との関係を作れるようになる成長があるのです。生殖をリードしてきたのはメスなので、当然メスの方が成長が早く、オスはそれに引っ張られる形で2~3年後に成熟します。つまり人への進化も2段階で、初めにメスに起きて、続いてオスに起きました。現在も進化中で脳の容量は拡大していると思われます。

 女性が52歳前後から始まる、更年期障害は性ホルモンの衰退によって引き起こされる(バランスが崩れる)ものです。しかし、更年期に見られる感情の変化(熟年離婚やパートナーに対する怒り)は、原始回帰とも言えます。ですから、男性にも当然起きます。女性に続いて起きます。繁殖期の関係が意味をなさなくなり、それ以前の関係に戻ったと理解するのなら、ものすごく納得できます。

 この未熟児で生まれると言うことの、大きな意味はもう一つあります。それは自分と他人の関係で生きているだけの生物とは全く違う関係を強いられたことでした。未熟児は自分の体から生まれた、しかし、自分ではない、他者でもない。泣くだけの存在、何もできない。それが何を求めているか自分で考えないと死んでしまうもの。察する・相手の身になって考えて行動ないと死んでしまう存在。相手の立場になる、自分の意識が自分を離れて、子供側に移る。そこから要求をくみ取る。そうしているうちに、子供から見た自分の姿を見る。それが自己・エゴの発見なのです。(自己の定義は難しくて一概には述べられませんが、ここでは、自己認識と言う事にします。)カラスも50の言葉を使うと言われ、ゴリラも手話を使って会話ができる。なぜ、自己認識ができないのか、そこには、相手から自分を見ると言う行為がないから、相手から自分を見る必要がないからなのです。死の認識も、相手から自分を見ていて、その相手が死んでしまう出来事によって自分の死を知る事になったのでしょう。

 人の子だけが行う<指さし行動>は1歳以前後にします。意思表示・共感共有・理解応答の順に発達していきます。これは、進化の過程でしょう。それが言葉に置き換わっていくのが1歳から2歳。言葉が少し遅れてくるのが、類人猿から人への進化の過程だと思います。そして、第2次性徴となって、自己の存在に気づきます。思春期ですね。母親になると言う変化が起きるわけです。
 子供が未熟児であるため、役割分担が必要となり、言葉をうみ。未熟児で生まれた子供との関係で自我が生まれた。人(ホモ・サピエンス)への進化は、子供が生まれないという危機的状況によって生まれてきたのです。

 ボルネオ島でオラウータンは見ませんでしたが、広大な焼き畑を見ました。ここでも育てる、他の生物(食べ物)を育てると言う行為が自己認識のきっかけとなったと思うのでした。やはり歩くこと他者を愛すること、大事なんですね。              2016,4/20
プロフィール

関本塾 岡崎市

Author:関本塾 岡崎市
愛知県の山奥生まれ、岡崎市に住んでます。そば屋を27年、足つぼマッサージ7年、三味線も弾きます。
 趣味はたくさん、山登り・音楽(作詞・作曲)・オートバイ・旅行(バックパッカー)・手作り工作・猫のミーちゃん・生物医学、などなど、
 癌になって気付きました。心と体の開放(生き生きする事)が1番大事だって!!

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