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<みんなの遺伝子がこの社会を作っている>

 
 生物の定義はいろいろあって決められませんが、私はメタポリズム〔同化と異化(狭義では代謝)〕だと規定しています(ウィルスはチョット違うけどね)。生物はエネルギーを取り込み、様々な形でそれを放出します、しかし、エネルギーを少しだけ余分に蓄えるシステムです。エネルギーを蓄積し、自己再生のエネルギーとし、余分に蓄えたエネルギーに因って、以前より数が増えて行くシステムです。これが地球型生物と言う事だと思います。このシステムに因って、植物は大きくなり林が森となり。昆虫や動物は子供を生み数が増えていきます。生物がいくら進化してもこのシステムは変えられません。地球上のあらゆる生き物は(今の所ですが・・)このシステムで動いているのです。植物も動物も遺伝子の半数は共通していると聞きましたが、元は一つの生命だったんでしょうか、面白いですね。

 つまりいくら人間ががんばっても、この次元世界から逃れられません。人間は他の生物と違って、自分の肉体以外のものに、自分の行為をさせたり、置き換えをしたりしています。自分がするの代わりに、他人や機械にしてもらって自分は楽をしようというわけですね。そうして文明を作ってきたのです。ですから、文明のシステムは、社会の構造もコンピューターの(ハードもソフトも)システムも、細胞や体のシステムとほぼ同じに作られているのです。

 使いやすい道具とか、分かりやすいパソコンとは、人のシステムにより近いと言う事です。人が理解し易いと言う意味は、自分の中に同じような物をすでに持っている事です。ハードディスクやメモリーは、脳の記憶回路が現在の情報量を蓄積できないので、その代わりに作った、それだけ情報を貯めたいのです。それも同化です。自分のパソコンのデータを見て下さい、それがあなたの脳なんです。テレビ・ラジオもインターネットも、あなたの細胞が欲しているから存在しているのです。

 つまり人間の社会システムや思考・行動は、人が単細胞であった30数億年前の生き物の構成に因っています。生命の誕生以来幾度かの絶滅の危機を乗り越えて、現在の人類が生き延びている事に驚きを感じます。

 この生き延びてきた生命は、世代交代という環境に応じて個体を変える事と、種を維持するために情報を伝え合うという、方法を採ってきました。それが遺伝子の変異と雌雄の違いを作ってきました。(この辺詳しく書くと別な読み物になるので割愛します)。私はこの情報を取り込み、共有化するシステムを同化という言葉で広い意味で使っています(食べて大きくなる事も同化です)。 

 人類の雌雄が出来て3億年経っているようですが、それ以前の生物も、様々な単細胞生物も何らかの手段で情報を交換し、<同じであろう・種として維持しよう>というのが生物の宿命です。個体の雌雄差が出来たのは、結婚してコピーを作るという事です、優秀な遺伝子を交換して同じであろうとします。

 生物として同じであろうとする限り、人類にとって差別や支配は生物的な営みではないのです。と言うのは、人間は個人(個体)では生を語る事では不十分で、個の生+種の生命と2つの生に因って出来てるからです。ですから、自分の仲間は食べないし、殺さないんです。逆に考えると、支配し差別が遺伝子由来のものならば、それらはいつでも互いに争いあい、生存は難しいのです。戦争好きが遺伝子由来なら、人類は戦争ばかりして文明は持てないし、とっくに滅んでいるのです。

 映画で悪い支配者がやっつけられるのを見て感動したり、戦いの末自由を得た人間を見て感動するのは、そうした生物としての元々の感覚なのです。ですから逆に、今、人の自由を奪っていたり、人に対して差別している人は、その時点で自分の生に対して満足できないでいるのです。または不安に感じているのです。いつ自分や家族を殺されるかの不安を抱えながら生きるのは、支配で得られる快感より辛いのです、結局枕を高くして寝れない。私怨の無い殺人は、本来出来ないのです(戦争の事です)。

 たぶん1万年以前までは、人の営みは10~200人程度の集団で700万年ぐらい続いていたのだと思うのです。それが急に現在、1億の単位になって、上手く集団を動かす能力が無いのです。今の我々人類には無いのだと思うのですが・・、その新たな手段として民主主義制度が生まれたのかもしれません。人類は元々同じになろうと言う力(理解し理解されよう・認め認められようとする力)が働いている限り、平等や平和を求めそれに近づこうとするのです。(ただし、食料が十分に無かったり、狭い所に閉じ込められると状況が変わってきます)中国も共産党支配・北朝鮮の独裁もいづれ終わるのです。崩壊の理由は、それは支配者自身が苦しいからです。

 では何故、様々な軋轢がおき争いが起きるのか?と言いますと、生物には(同化の他に)もう一つ重要な要素があります。それは自分と他を区別すると言う事、<異化>です。細胞レベルで言うと細胞膜が外の世界と自分とを区別することですが、人間になるともっとズーット高度(?)になって、自己と言う認識が生まれます、<私>です。他者を区別し排除する意識の元ですね。そして、<私>という認識から、<私達>と言う、擬似的な自分の拡大版の世界が生まれるのです。人間はそこに住んでいるのです。<私>の世界ではなく、<私達>の世界です。

 その<私達>の世界が<依存と支配>の世界です。その世界を広げる・その認識や理解の質やズレを課題として、他者の世界を認識して行く事が自立(正確に言うと自立という感覚)です。

44-2 外国人が好きな、FUSSYな日本人?

 さて、欧米人に日本人はどう思われているか?これ日本人好きですね。どう思われようとかってだ~~!、と言うのが私の考えですが、実は私も好きなんです。先回の旅でも言われました。たまたま、私がゲスト・ハウスのワイ・ファイの暗号を覚えていて、知り合った欧人のスマートフォンに10桁の暗号を打ち込んだのです。すると、Fussy!と、感動されました。たまたま覚えていたんですが、日本人らしいと思われたのですね。

 fussyはfastidiousの類語、<うるさい、こせこせ、むなしい>等ですが、おおよそ<好き嫌いが細かい事>を言います。ちょっとネガティブですが、なんと!これが世界中で大受けしているんです。今までは富士山・芸者が日本の代名詞でしたが、最近は日本をよく知り、日本語を理解する外国人が増えてきました。旅先で三味線を弾いていると、飛び上がるように私に駆け寄ってくる人を見ると、なんだかうれしくなります。以前のように日本人というと、車の国だよね、とか言われる事は少なくなってきました。文化もしっかり輸出しているのです。

 日本のこだわりは、ガラパゴス化ですね。お米の銘柄にこだわる事や、精巧なフィギア(人形)・多機能な電子機器・食べ物へのこだわりです。日本人は何事も、いい加減・おおらかではなく、物にすごくこだわるんです。日本は世界から見ると<Unusual, so different(普通じゃない!、すごく違っている!)>で、びっくりなのです。日本人にとっては普通で、そう言われると意外なんですが、世界から見ると日本の文化は当たり前ではないんですね。ですから私は、物については、これからも、う~~~んとガラパゴス化していけば良いんだと思っています。そうでないと、世界と同じ基準で物を作っていったなら、他の輸出国に代わっていってしまうのです。<おもてなし>も、旅館の過剰な接待もそのまま進めばいいんです。私は嫌いですので、みんな同じ事してもらっては困るんですけど・・。

 最近は円安も手伝って、外国人旅行者が増えました。日本式の居酒屋も大人気だそうです。確かにパブぐらいしか無い欧米から見ると、様々タイプの飲食店はビックリでしょう。でも、未だに多くの外国人は、日本は物価が高いと勘違いしてます。実は世界の先進国で最も物価が安いのです、これも近くに中国があったおかげだと思いますが・・。外国人に会うたびに、日本は面白いよ・安いよ、絶対おいで!と、日本を宣伝してしまうマリオなのでした。

※ アメリカのファッション雑誌に<ボーグ>というのがあります。モデルがポーズをとって写っていますが。しかし、彼女たちの顔は決して笑顔ではありません。パリコレもファッション・ショーでもモデルの顔は、何故か怒って居るように見えます。私は不思議でしょうがありませんでした。日本人の感覚では理解できません。何故彼女らは笑顔でなく、怒っているのか?。自立や感覚の事を学び始めて分かりました。彼女達の生きている世界は、男性や他人に媚を売らなくても生きていける・生きていこうとする世界だったんですね。ありのままで、自分を誇れる、そういう野生的で美的な顔だったんですね。(この反対が、幼さを演出する<カワイさ>です、この話も長くなりますので割愛!)

人の誕生、2足歩行・何故自我を持ったのか?前の続きです。 ②中国観趾法


 <恋愛>は人にしかわからない。他の霊長類には生殖行動前後の長い期間に、オス・メス特別の関係はないからです。人は性の隠匿から始まる関係(恋愛と言う関係)は、子育ての準備、役割分担を決めるために必要な儀式なのです(一夫多妻でも同じ)。その儀式を通して音楽や言葉が生まれてきたのだと考えます。深い役割分担の関係は、より細かな情報の共有化が必要だからです。つまりそれぞれが1っ個体として生きられるのなら言葉は生まれない、と言うことです。よく話す人は寡黙な人より、他人の協力を必要とする生き方をしている、と言うことですね(気持ちの上でも生活の上でも)。現在は言葉より社会としてのシステムが、言葉の代わりをしています。だから現代人は疎外感を持つのです。

 ですから、人には肉体的に生殖可能になる成長と、異性との関係を作れるようになる成長があるのです。生殖をリードしてきたのはメスなので、当然メスの方が成長が早く、オスはそれに引っ張られる形で2~3年後に成熟します。つまり人への進化も2段階で、初めにメスに起きて、続いてオスに起きました。現在も進化中で脳の容量は拡大していると思われます。

 女性が52歳前後から始まる、更年期障害は性ホルモンの衰退によって引き起こされる(バランスが崩れる)ものです。しかし、更年期に見られる感情の変化(熟年離婚やパートナーに対する怒り)は、原始回帰とも言えます。ですから、男性にも当然起きます。女性に続いて起きます。繁殖期の関係が意味をなさなくなり、それ以前の関係に戻ったと理解するのなら、ものすごく納得できます。

 この未熟児で生まれると言うことの、大きな意味はもう一つあります。それは自分と他人の関係で生きているだけの生物とは全く違う関係を強いられたことでした。未熟児は自分の体から生まれた、しかし、自分ではない、他者でもない。泣くだけの存在、何もできない。それが何を求めているか自分で考えないと死んでしまうもの。察する・相手の身になって考えて行動ないと死んでしまう存在。相手の立場になる、自分の意識が自分を離れて、子供側に移る。そこから要求をくみ取る。そうしているうちに、子供から見た自分の姿を見る。それが自己・エゴの発見なのです。(自己の定義は難しくて一概には述べられませんが、ここでは、自己認識と言う事にします。)カラスも50の言葉を使うと言われ、ゴリラも手話を使って会話ができる。なぜ、自己認識ができないのか、そこには、相手から自分を見ると言う行為がないから、相手から自分を見る必要がないからなのです。死の認識も、相手から自分を見ていて、その相手が死んでしまう出来事によって自分の死を知る事になったのでしょう。

 人の子だけが行う<指さし行動>は1歳以前後にします。意思表示・共感共有・理解応答の順に発達していきます。これは、進化の過程でしょう。それが言葉に置き換わっていくのが1歳から2歳。言葉が少し遅れてくるのが、類人猿から人への進化の過程だと思います。そして、第2次性徴となって、自己の存在に気づきます。思春期ですね。母親になると言う変化が起きるわけです。
 子供が未熟児であるため、役割分担が必要となり、言葉をうみ。未熟児で生まれた子供との関係で自我が生まれた。人(ホモ・サピエンス)への進化は、子供が生まれないという危機的状況によって生まれてきたのです。

 ボルネオ島でオラウータンは見ませんでしたが、広大な焼き畑を見ました。ここでも育てる、他の生物(食べ物)を育てると言う行為が自己認識のきっかけとなったと思うのでした。やはり歩くこと他者を愛すること、大事なんですね。              2016,4/20

人の誕生、2足歩行・何故自我を持ったのか?ボルネオ島で考えた。関本塾・中国観趾法


 人のメスはなぜ発情期を隠すのか?なぜ2足歩行を選択したのか?なぜ人の子は未熟児で生まれるのか?赤ちゃんの原始反射はなぜ起こるのか?更年期障害はなぜ起きるのか?なぜ人だけが自我を持ったのか?なぜ恋愛をするか?

 道路の側溝の中に身を潜めて、上を通り過ぎる女性の下着を覗いて逮捕された男性がいた。しかも、彼は2度も捕まった。彼は何を見たかったのか?それは性皮を見る、確認したかったのだ。類人猿の多くは繁殖期になるとあそこが赤く膨らむ、そこが性皮。そこでオスが発情するのです。

 しかし、人のメスは発情を隠す<排卵隠匿>。人のメスはほっておいても生殖器官を隠す。オスが性器の名を小声で言っても<怒る>いやらしい、と。しかし、そこに人類誕生の秘密があったのです。

 定説は<人類が森から出て2足歩行をして脳が発達して、○○して、文明を作る。立ったために骨盤狭窄→未熟児で産む>と言うものだ。しかし、どうも必然性が弱い。つまり、2足歩行になる理由が弱い。2足歩行は、非常に安定が悪く、4足歩行にすべての面において劣る(最新技術でもロボットを作ってみると難しい)。自然の中で走れば必ず転ぶ。サバンナで脳が発達してない段階で、他の捕食物に勝てる手段もない。また、2足歩行の利点はそれほどでもない。ミーヤキャットの様に一時的に立ったり、猿の様に完全に2足歩行でなくても物は両手に抱えて移動もできる。なのに2足歩行を選択した?。ほとんどの類人猿は脊髄を立てて生活しているのに、なぜ人だけが文明を持ったのか。それは、仕方がなかったのです。

 約700万年前、半樹上生活の類人猿がある程度脳が肥大して、胎児が産道を抜けなくなってしまったことから始まったのです(進化の方向は急には変えられない。キリンの首は伸び、象の鼻は伸びていく・・)。ここで人の先祖は絶滅の危機に見舞われる。子供が生まれなくなってしまったのだ。ところが、ある類人猿達は胎児の脳が発達する前に産み。未熟児で生まれた子供をなんとか育てることで、子孫をつなぐことに成功した。または、脳がそれほど肥大しない段階でも難産で、立つことで未熟児で産み育てることになった(立つことで内臓が下がり子宮を圧迫して早く生まれる)。

 それは、子供を産んだ母親が、いつも子供を抱えて移動すると言う事、つまり2足歩行にならざるを得ない状況になったということなのです。人の子供は約1年間、自分で食べ物を探し食べることはできない。親が付きっきりで、世話をする必要がある。それを木の上ではできない。つまり、ライオンがいるサバンナより安全な樹上生活を、あきらめざるを得ない状況になってしまったのです。ここに2足歩行の原点がある。そして約400万年ほど前に現代の様に直立2足歩行になったと思われます。2足歩行と言っても、300万年と言う長い時間をかけてようやく直立できるようになったんですね。

 では、2足歩行ではライオンに勝てない人の先祖は、どうやって生きて来たのか?肉食獣のいるサバンナを避け、森の中を住みかとして、竪穴や洞窟に暮らした。それは今でも僕らの記憶のどこかに残っている。世界中の人が理想とする世界を描いてみると、森の中に家を描く。そこに人として誕生した世界があるような気がする。

 時々、赤ちゃんを観察させてもらいます。原始反射<把握反射・新生児微笑・モロー反射・吸啜反射>が起きているか観察します。把握反射は赤ちゃんが生まれてすぐは、手の握る力が強く、数週間で力が抜けてしまうことを言います。これは人が類人猿の頃、赤ちゃんが生まれてすぐ、母親にしがみつく・木につかまったことを意味します。一般的には手で起きることは知られていますが、実は足でも同じように握ろうとします。そして、手と足の大きさや形が似ている事に気づきます。立つと足が大きく指が退化していきます。ですから人の誕生と赤ちゃんの誕生が同じ関係(時系列)にあるのなら、立ったから人になったのではなく、子供が未熟児として生まれたので、仕方なく立っていった、と言うのが正解の様な気がします。

 メスが子供に掛かり切りになると集団の関係も変わってきます。排卵の時だけ、繁殖期だけオスがやってくるのでは、メスも子供も食べ物が取れない。そこでメスは繁殖期を隠して、オスにいつも繁殖期であるかのように見せ、近づかせる関係を作っていったのです。(人以外に繁殖行動を頻繁にする霊長類はボノボだけ)。オスは繁殖行動の相手(妻)に自分以外のオスの遺伝子を残されないよう、せっせとメスに食料提供や保護をして子を育てた。結果、他の類人猿に見られない深い関係を作っていったのです。メスの性の隠匿(他の類人猿には見られない)は、未熟児を育てる手段として発展していった。その発展した結果、メスはミニスカートは穿きたいけど見られるのは嫌、オスは見たり触ったりしないとメスの発情が確認できない(チカン・変態となる)と、言ったややこしい事になったのでした。



2につづく

44 外国人が好きな、FUSSYな日本人?

 個人として、欧米人と日本人どこが1番違うか、分かりますか?。それは彼らがものすごく素直なんです、特にオーストラリア人は素直です。素直なニュージーランドの友達が<オーストラリア人は素直だ!>と言うんだもの。確かに、両国は同じに見えますが、ニュージーランド人の方が複雑な感情を持ってます(概ね!)。真面目と言う意味ではないんですが、ストレートで屈折がないんです。ある時オーストラリアの彼女が飛び込んで来て言いました、「彼が日本人の女性と寝た!」って、「んんん?」。「どうして知ってるの?」「全部、彼から聞いた」。それは彼らにとって、普通なんだそうです。あなたは、自分から浮気した事をすべて打ち明けますか・・?。単純?だけでもない。内に秘めたものあるんですが、色々複雑な事情を経験している日本人の私には、なんとも言えない気持ちになるのでした。20代の彼らの生活は、アメリカの青春ドラマそのまんまの世界です。その後、彼女は彼と別れ、あれこれあって(?、私は何でも知っている)、別の人と結婚しました。今はかわいい二人の子持ちです(エッ!私の子供じゃないですヨ、孫です)。

 そんな彼らの友人関係は、日本人の関係と少し違います。非常にフランクで、誰とでも簡単に友達になります。お店で隣り合っただけの人と、長時間友達のように時間を楽しみます。ただし、気が合わなかったら一回きりですが、その場その場で友達が出来ていく感覚は、友達がいなかったり、友達で悩んだりしている日本人にとって驚異だと思います。悩んでいる人に言いたい、世界は広い、あなたを受け入れてくれる。ただ非常にストレートという事は、ドラッグやお酒、犯罪に係わり易いって事でもあります。私も何度か会った、友人の友達は、ドラッグ絡みで銃で撃たれて亡くなりました。先に書いた、欧米の男女の自殺率の違いは、そんなところにあるのかもしれません。
 
数年後、彼女とオーストリアで再会しました。今で言うとミランダ・カーに似ているね。彼女は話の中で、元彼の名前を出して、マリオは彼に会いたい?と聞いてきました。時々は別れた彼と、みんなで会っているのでした。別れたカレシにですよ。二人の人格を一つにしようする様な、強い関係のカップルには考えられないでしょう、でもチョットだけ複雑な関係、ドラマでしょう!。その町では彼女が一人だけで住んでいる家や、両親の家に1週間以上滞在しました。大自然の中、両親や友達と楽しく過ごしました。一人で住んでいる女性の家に泊まるという事は、日本では考えられませんけど、普通なんです。この後、次の目的地でも、友達の女性の家に1週間ほど泊めてもらいました。次は男友達の家に泊まったけどね。

 何というか(おせっかい・偏見ですが・・)、欧米人の女性は今まで書いてきたように、しっかりした<ノー>・<固い殻>みたいなものが在って、自己が崩れにくいんです。日本の女性は<殻>みたいなものが弱くて、押されると壊れて、倒れていってしまいそうなのです。日本人は女性に限らず、<小集団としての殻>はあるんですが、そこを突破されるととても弱いんです。人格の内側まで受け入れてしまう様で、いったん仲間に入ってしまうとノーと言えないのです。レイプ被害はちょっと知り合った加害者から、受ける事が多いのです。時々、日本の女性が海外で一人旅行しているの見かけますが、あんがいヤンキーッぽい女性の方が上手くやれそうです。真面目で身も心もガチガチに固めた様な人は、なんとなく危なっかしい。ガチガチに成るのではなくて、心に殻を作るのです<傷つかない殻、自分の殻を持つ>事です。(先に書きました本当のプライバシーです)。
 以前お笑い<エレキレル>のコントで<ダメよ、ダメ、ダメ!>が、もの凄くヒットしました。これが受けたのは、ダメと言いながらも崩れていってしまう女性や、それを求める男性の関係・悲哀が面白かったのです。独特の微妙な駆け引き、その感覚の中に現代の日本人は居るのです。ですから欧米の人が見ても、イマイチ面白さが分からないでしょうね。Open your heart!は自分に殻が出来た後の話なのです、ええそうなの?ビックリしたぁ?。

ASK の続き・・。

 このaskを教えてくれたのはドイツ人です。30年来の友人です。あの頃は国際郵便でやり取りしてました。このaskのおかげで、色々な勉強が出来ました。例えば、オランダ国立美術館では、ほとんどのレンブラントの絵を見ました。普通は学芸員か美術の学生だけに許可されるストック・ルームまで、案内していただきました。私が求めたからです。楽しさが分かって、ますます日本では浮く事になったマリオでした。

 因みに南米のaskはすごい!。特にチリはいつでも・毎日どこかで、デモ・プロテスタントをしてました。私も強烈な催涙弾を浴びてしまった!。若者が主体ですが市民も応援してます。学生にとっては仕事のような感じですね、とにかく元気!。旧政権が市民を弾圧・虐殺した経験を持つ市民の<黙ってなるものか!>の感情は、事の良し悪しはともかく、政治が生きてるなぁ・・と思うのでした。

※① 欧米と言っても、ヨーロッパの北と南ではまったく違います。私がヨーロッパと言っている部分はフランス・ドイツから北の国々です。アメリカとヨーロッパでも少し違って、集団への依存度は、日本とヨーロッパの中間がアメリカだと思って下さい。世界の幸福度統計でも、やはり真ん中辺りにアメリカがあります。ドイツは少し微妙な位置にあります。ヒットラーの政権が日本と似たような状況を作ったからです。そういえば、高度成長も日本と同じでした。

※ 世界の自殺率の統計(WHO、2009年度)では韓国3位、日本13位、ヨーロッパ諸国は25位前後(欧米の特徴は男性の自殺率が女性に比べ3倍以上です。日本は2、3倍)。日本の自殺率の地域的特徴は、都市部では少なく、岩手県、新潟、秋田、島根、群馬など日本の伝統的な社会ほど高いようです。また景気にも左右されているようです。この辺りのデータからも、私の検証できない感覚が、マアマア当たってるな!と思えるのです。又、先に<自立と言う言葉>の中に書いた、<最低でも生きていける条件(3畳の部屋)があれば救える>は、このようなデータを見ても言えるのではないでしょうか。

 

43 ASKするヨーロッパ人? 


 先の項目で<世間が無いので、安心出来ないヨーロッパ>の事を書きました。では彼らが不安の中で暮らしているか?と言うと、そうではないんですね※①。日本人以上にのんびり暮らしています。じゃあその分何で安心しているか・と言うと<ask>なんです(話しの都合で単純化してます)。ask の意味は<求める>という意味です(単純に<聞く>という意味もありますが、他者に要求という意味が強いのです。話は英語圏だけじゃないですけど・・)。

 つまり何も言わなくて分かってもらえる社会と、要求して実現する社会との違いです(単純化してます)。これを具体的に言いますと、お父さんが帰ってくると「お風呂、ご飯。寝る?」ですんでしまう、これ以言わなくても夫婦関係が保てる社会と、「愛してるよ、君と離れていて寂しかった!チュ!チュ!」と、しなくては離婚してしまう社会との違いです(分かり易い!これで日本人が愛してるって、奥さんに言わない理由が分かったでしょう?エッ!別な理由からだって!)。つまり、彼らはaskすると幸せになるのです。安心感の条件です。これは会社の賃上げでも、家族の遺産相続でもそうですね。

 日本の場合、言わなくても分かってくれるだろう、が今まで言ってきた強い関係です。何故、相続問題を挙げたかというと、長男は未だに長兄相続の感覚が抜けなくて、両親が亡くなった後、他の相続人に「それは違うでしょう!」と言われ問題に成るからです。今までは何か言うと、結果的に損をする感覚でした(良い子にしてないとおやつをあげませんからね!=がまん)。この感覚は日本人でないと分かりません。この問題は欲だけじゃなくて家督相続とか、伝統的なものと現代の近代法とのギャップ、大きいですね。今では前もって言わないと問題になる世界に、来てしまっているのですね。この場合は、自分がaskするだけではなくて、いつでも自分がaskされる側にも成るって事です。覚悟あります?。

 なぜaskがヨーロッパ人の安心なんだろうと言いますと。<求めれば、何とかしてくれる世界>を信じているのです。信じられないでしょう。そこが日本人との大きな感覚の違いなんです(この感覚は私だけなのかな?、日本の貯蓄率が高いのは、結果的に政治が何もしてくれないと思っているから・・)。その感覚が分からないと、フランス革命で何十万人も王侯貴族や神父・修道女をギロチンなどで殺した感覚は理解できません(頭では分かってもね!)。<民主的・人権>とか言う言葉の中には、要求をはねつけると、殺されるかも?という感覚が中に潜んでいるのです。フランス革命だけじゃなくて、他の国でも一般市民が、支配者に対してask(要求)をして、実現させたのが民主主義だったんです。ですから、askは実現して行くものなのだと、市民感覚で理解しているのです。そうなんです、彼らにとって、要求は無視されるものではなく、askは権利であり、安心のツールなのです。選挙の投票率が高いのが、納得できます(別な言い方すると、国家は自分達のもの!、選挙は金返せ!なのです)。

 ですから、日本のように要求を簡単に、上手に相手を傷つけないように受け流す、適当にごまかす、といった<とりあえず>の対応はしないのです(これもケース・バイ・ケースですが・・、比較の問題で言ってます)。学校へのaskも、内申書・内申点が下げられるから何も言えないんですね、今は少し変わってきました。チョット前までは<物申す事>は<祟り(たたり)>に触れるような感覚でしたから。皇室関係は今でもそんな感じ・・(何事も、しようと思わない人は、何も感じないけど!)。ヨーロッパの社会が風通しが良い、とか大学の研究者も、日本より欧米のほうが研究しやすいというのは、この辺りが元ですね。

悲劇から立ち直れない日本人 ②


欧米の世間(せけん)の事を一部書きましたが、もう少し・・(もちろん、世間という英語はありません、すでに概念が無いのですから)。日本での<世間>の意味は、<村社会>の共同認識という概念です。それは同質の狭い世界でしたから、そんなこんなで昔は上手くいったのです。欧米ではそんな安心感は持てません、ですから、欧米で生活すると心がスースーするのです。しかし、今ではあちこち異質な文化が入ってきています、どうするのか?となっています。それについても別項で書きましたので以下略。

 今では世間と言うと「世間体を気にして・・」とか、ネガティブな意味で使われます。自由が制限されているような感じですね、しかし、日本人の多くはその世間という感覚に、実は!本当に!心底!、安心感を貰っているのです。私もそうなんです。悪い奴がいても誰かが、皆が「そんな事は世間が許さない!」と、言ってくれる、許さないだろうと無意識に思っているからです。全員がそう思っているから、世界一安全な国なのです。とっても良い事ですが、実は無意識・無自覚で、お任せ体質なのです。つまり世間という人は居ないし、今の世間は助けてはくれないのです。何か事が起きた時に、身を預けてた分だけよけいに動揺するのです。事件事故、犯罪被害者に身内がなった時、立ち直れない・立ち直りにくいのは、繊細な愛情のゆえなんですが・・。自分が今生きてるって言う事は、<日頃から身に起きるすべての問題の、結末を引き受ける覚悟>も必要なのです。自分の人生を自分で引き受けていないと、何かあった時に受け止められないのです。正直あまり強くはいえません、私も動揺すると思いますから、そういう認識を持つそれで良いのかもしれません。

※① 国連の2013年度幸福度調査では1.デンマーク2.ノルウェー3.スイス4.オランダ5.スウェーデン、アメリカは17位、日本は43位でした。私が言っている、<集団に依存しない社会>が上位です。幸福そうに見えないデンマーク人ですが(超個人的意見です)、知らない喜びは、手にしないと感じないのです。このデータは国連のサイトから直接PDFでダウンローで出来ます。170ぺージですけど!。

 話は変わって、オランダはアムステルダム駅前のフレンチ・フライが最高においしい。お勧めです、何度も食べた!あれからケチャップ付ける事にした、確かに幸福!(笑い!)、蝋人形館も面白い。オランダは本当にバラバラな国です、夏のアムステルダムに行っても外国人しかいない。働いているのほとんどが外国人だからです。市の人口の半分は外国人になるそうです。そんなんでも、ちゃんと国が維持できてるのに驚愕です(国は民族じゃないんですね)。

 ノルウェー・スウェーデン、ンンン~~?暗い!寒い!。友達と会うのに、1ヶ月も前から約束するなんてわったすぃにはできない!私は彼らの名前は発音できないんです。スイス、友達いる、よく長文のメール来る、そのうち日本に呼ぶ。
※ 《あなたが美しいかどうか、彼に聞かなくても確信していい「私は美しい!」と。しかし、あなたが民主主義の国に住んでいるかどうかは、あなたが市や国に、あなたの周りの問題を要求してみないと分からない。》

悲劇から立ち直れない日本人?

42 何故ノーと言えないの?悲劇から立ち直れない日本人?
 私は仲間と共に議会や市役所・文部省等に、請願・陳情・質問状など沢山出してきました。しかし、そのほとんどが、無視されるか議論も無しに棄却されました。オランダの市議会を傍聴した時の事ですが、「どうぞお入りください」と、外国人である私を議場に招き入れてくれました。その後も、議員と気軽に質疑が出来る環境が整っていました。スウェーデン政府に手紙を出した時も、責任者の署名入りですぐに返信がありました。この開かれた政治の様子は、経験しないと分かりませんね。その後ドイツでの<緑の党>の議員との会談は、こうした経験があって、日本では出来ないけどドイツでは何とかなると出かけたのでした。

 日本の場合は、市長にすらなかなか会えません。何度も面会を要求しましたが、しかるべき方法でないと会えないのです。彼らの村社会のルールに則るか、入らなければいけないんです。言ってみれば肩書き・縁故・後援会ですね。何故会えないか?、市民である私は、市長にとって関係ない存在だからです。市役所もなかなか市民の話を聞いてくれません。親しくなって、甘え甘えられる、ナーナーの関係になると少しは叶います。んんん・・、どうも変だ。私のイメージの民主主義とだいぶ違う。

 そこで、どうやって日本の行政と戦う(?)か?と言いますと。ほとんどの場合、個人で言っても門前払いです。肩書きがあれば良いんですけど、肩書きのある人は世の中にしっかり馴染んでいますので抗議・要求には参加しません、それだからこそ肩書きを与えられたんですけど・・。ですからこちら側も、<村>みたいなものを作って対抗します(向こうから、そう見えるという意味です)、団体ですね。そして、徹底的に外部者の姿勢を通すのです、彼らに馴染まない事です。それだけです。外部者としての姿勢がよく分かりませんね、違う価値観や文化で話すという事です。つまり彼らの意識を<村社会>の外に出して行くのです。行政側に<今まで処理してた様に、「前例が在りませんので、出来ません!」ではいかないぞ!>と、思わせる事です。簡単に言うと、外圧ですね。団体旅行の集団のように、村社会は外部・外圧に弱いからです。そうすると、ようやく本当の責任者らしき人が出てきます。後は、交渉しだいです、<村社会>に生きてきた人間は、外に出ると弱いんです。この<本当の責任者らしき人>、とは市長や議員ではないんですね。そこが面白い!この事は江戸時代の支配構造で書きましたので・・。

 元東京都知事の石原氏は昔、「ノーと言える日本」という本を出版して自らの主張をしようと問いかけましたが、でも何故ノーと言えないのかは分かっていないと思います。村社会に住んでいる人達は集団としてはノーと言えるんです(時間がかかりますけど)。ただし、個人では言えないんです、その事がこの世界において一番問題なのです(集団ではなく、あなたはどうなんですか?と聞かれる世界です)。そのノーと言えない理由が、集団への強い依存なんです。同時に、<みんなもノーじゃなきゃいやだ>ではなく、僕はノーだけど、みんなはイエスでもいいよ!と言えることです。果たして、ご高齢になっても<日本民族>にこだわる石原さんに言えるのでしょうか?。

ふれあいの続きー③


※1- 多くの日本人は、それぞれ勝手に振舞う事を、個人主義と思っているようですが、少し違いますね。バラバラな個人を尊厳・人権として捕らえてるのが個人主義です。日本人の個人主義は<それぞれがが勝手に好きなことをする(お金儲けと家族のため)>、ただただ忙しい?否、みんなではないですね!。

 ロシア人と、その後どうなったのかチョット書きます。彼らは歯科医のグループでした。初めはセルビアやウクライナの事があって、私としては話しづらかったんですが、コーヒーを飲み、ミルクを飲み、お茶を飲みながら話しました。飲んでばっかですが・・(ミルクは牧場に行ったからです)。ついに、聞きました。ロシアの政府・プーチンの事どう思っているの?。そしたら「good!」、私はチョット引きました、すると間があって「but,too strong!(強すぎ)」。そのちょっとの間が、大事ですね。それで共通の認識が取れました。それ以上細かくつめる事は無いのです<大人の認識>と、言っていますけど・・。犬の場合ですと、初めての犬同士は匂いを嗅ぎ合いますね!そんな感じ。

 よく外国でのマナーとして、宗教や政治の話をしない事、とか言っていますけど、チョット違うね!。親しくなるのには、同じ事・違う事を理解しあう事なのですから。よく「マリオさんは、どうして外国の友達が多いのですか?」と、聞かれますが、何でも話すからです。捕鯨・馬肉の問題やパレスチナの問題もよく話題にします(ほとんどの欧米人は捕鯨や馬を食べるのは信じられないのです)。パブでも私が日本人だと知ると、話しかけてきたりします(ふっかけてくるの)。そこでは私は、日本を代表して捕鯨擁護の話をします。すると不思議な事に、グリーン・ピース支持の人ともケンカにはならないのです。意見の不一致は話題作りにちょうど良い、そんな感じです。そういう人と、もうすでに30年付き合っています。 

 そんなこんなでロシアの人達と仲良くなって、夕食をおごってもらう事になりました。そのディナー、ちょっとした事件があって面白かったですよ。来春ロシアに行こうかと思ってます。モスクワに行ったら99%、再会です。彼らの生活の一端を見るのが、今から楽しみです。初めに書きました<外国に行っても、よく人に頼まれる>と書きましたが、実はおごってもらう方が多いのです。

先の売れあいの続きです、②

 人と人の距離は非常に面白いのでもう少し・・。普通日本人は一緒に歩いて移動する場合は、離れないで団子みたいになって歩きますね。誰かが離れると、追いついてくるまでみんなで待ったりします。誰かがトイレに行った場合は、みんなで待っていますね。ところがヨーロッパ人は違うんです。

 いつか、私とカナダ人・フランス人とか4カ国の人が、8人ぐらいで1日中町を歩きました。こういう事はよくあるんですね。先月の旅でも何度かありました。どのように団体として行動するのか?これは私の興味の対象です。とにかくバラバラで歩くんですね、それぞれ2~3人でグループを作って、それぞれが道路の右に行ったり左に行ったりして。その各グループのメンバーが同国人同士で固定しているかというと、それぞれがコロコロと移動して行くんです。私も誰かと話しながら歩くんですが、メンバーが変わるので結果的に、メンバー全員と個人的に話した事になります。私はある時期より、最も年寄りになりましたが、年齢も性別・国籍もありません。目的が同じなら、初めて出会った人とでも会話が弾むのでした。

 そして、各グループの歩くスピードが違うので、あるグループは遅れます。メンバー全体としては50メートルぐらい離れて、見えなくなることもあります。私は日本人なので、ちょっと待とうよ!と言いたいのですが、観察します。すると、誰が言うのでもなく自然にある一定の距離で、メンバー全員がそろうのです。先回の旅ではロシア人と一緒になりましたが、一人がカメラのキャップを無くしたと言うので、元の場所に戻っていきましたが、後のメンバーはまったく待つ様子はなく、本当に離れたままで進み(2時間ぐらい)、途中で合流しました(※1)。団子状態・集団で歩くアジア人が、旅先で目立ってしまうのはこの辺にありますね。

 ヨーロッパ人の距離は、離れてはいても、お互いに自然に観察しあっているのです。これは凄いですよ!、個々としての感覚+遊牧民の感覚ですね。これが欧米での<世間(せけん)>の感覚です。中に入っても親密には感じないし、外からも密接に見えないです、でもしっかり繋がっているんです。そんな感じが日本人には一体感の無い、寂しさを感じてしまうのです。この雰囲気はその国で生活すると、もっと大きく感じると思います。その<世間>の無さが、日本と欧米社会とのもっとも大きな文化の差です。(この辺は個人の感覚ですから正解は無いのですが、私はその正解の無い、感覚の世界を伝えたいと思っているので仕方ありませんが・・)

 <バラバラになりながらも、個々が繋がっている関係>は、この本(?)の初めから書いている<個人が集団に強く依存していない社会>の関係です。そんな国家が、世界中で最も政治的な腐敗が無い社会と言われる、デンマーク・オランダ等の社会です。個人の自由は徹底的に保障され、ドラッグも売春もほぼ自由です。議会と市民の関係も非常に解放されています。議員という社会が<村社会>の様に団子状態に固まってはいないのです。何故そうなのか、グループでの歩き方を見ても、なんとなく理解できると思います。こういった個人の関係が議会と市民のあり方、市民と国王や天皇とのあり方、外交のあり方を無意識に決定しているのです(あり方ですよ、直接の中身ではないです)。これはその国に住んでいる人自身が、自覚しているかというと、たぶん気が付いてはいないと思います。

 団子状態で固まっている人達<アジア人(アメリカ人も少しそうです)>は、犯罪に遭いやすいのです。自分達の仲間がはぐれないようにと、仲間だけを見て、外を見ていません。そして、自然と役割分担をしてしまい、誰かが見張っていてくれるだろうと安心しているからです。つまり、外から見ていると、ガイドに任せている団体旅行の人達は非常に無防備に見えます。この辺の事はすでに述べていますね。

 集団といえば、国家間の集団について。日本政府が参加しようとしている、集団自衛権の問題です。実は日本人と欧米人とでは、集団という認識・意味とその対処の仕方が、まったく違うのです、分かりましたぁ?。安全保障を期待して入っても、後ろからミサイル数発撃つだけで終わりだったり、集団保障に入らなくても、援護が受けられるかもしれないのです、今のシリアがそうですけど・・。要するに、自国の都合で条約は変わる、歴史は語る!のです。異文化は自分の期待通りに行かないものです、そして大きな集団ほどコントロールできないのです。

41 実際のふれあいの感覚 ①


 シェークスピアやトルストイを読んで、日本人分かるのかな?と思う。私には理解できなかったんです。何故か?今は理解できない部分が分かったのです。人と人との実際の距離が違うのですね、メートルです。実際に測ってみました。日本人は友人同士で立って話す場合の距離は約1、2メートルです。しかしヨーロッパ人は約0、9メートル以内。パブやハウス(ディスコ)やパーティーで音楽がうるさいと30センチぐらいにまで顔を近づけます。これは握手した時の距離に近いのです。何故か、ツバが飛ばないように話すのが上手です。まったくの個人的なデータですが、現実にかなり近いと思います。日本人の距離は、お辞儀をした時の互いの頭がぶつからない距離が、適当なんですね。初めは異文化の人との距離の違いは、非常に違和感があります。お互い黙ってはいますが、こういった距離の違和感を持って、日本人と海外の人とが接触をしているのです。

 ですからヨーロッパ人は親しくなっても、自分との距離を縮めない日本人は親しくない関係と写るかもしれないのです(その辺は個人の理解力ですけど・・)。逆に日本人の女性はヨーロッパの男性に対し、近づいて話しかけるので<気があるのかな?>と思うかもしれません(マア、それはそれで良いのですが・・)。
 
こうした肌合いの違いは、はっきり分かる感情表現以外に、沢山あるのです。例えば<足を汚いと思っている、触るのはなんとなくいや><体を見せる・見られるのは気にしないけど、触られるのは親でもいや>といった感覚が、なかなかそこで生活しないと見えてきませんね。そうした何気ない日常の常識・文化の襞に隠れている感覚・感性ですね、それが大きな意味で文化を創っているのです。言葉の使い方もそうですね、ですから意味は分かっても、外国文学がいまいち理解できなかったのです。
 
 日本人が国際会議での場で、なんとなく浮いているのは、仲が良いとか悪いのではなく、外国語が出来ないのではなく、その辺にあるのです。日本のリーダーには外国人の友達が居ない、又はそういう事をアドバイスできる人が居ないのです、親しくなるのには国によって違う、親しくなる方法があるのです。たぶん日本の外交は親しくなる方法を知らない、だいぶ損をしているね。

 会議をする目的は議題にあります、しかし、本当に重要なのは、話し合える関係になる事です。そして、意見の違う問題に対して議論する場合は、離れて大きな声で話すのではなく、相手にさらに近づいて穏やかに話すんです。離れて大声は決裂のサインです。日本人は話し相手の距離は気にしませんが、ヨーロッパ人の感覚では距離が大事なんです。ただし、政治家本人が個人的に豊かな魅力があり、今後も関係を続けたいと思われるような人物でないと、親しくはなれないですね、当たりまえだけど・・。

2015年10月末にネパールに行きました。


 ネパールは北海道の2倍ほどの国、2週間もあればぐるっと回ってこれるだろうと思ったのですが、これが不可能。地図に道があるところは凡そバスで行ける。ところがネパールは山ばかりで道が狭くて悪い。カトマンズから南は半分はだいたい行ける。しかし、半分以上は行けない。一番良い道、カトマンズからポカラまで200キロ、バスで7時間かかる。

 移動が恐ろしく困難なこの国で、同年4月に地震が起きた。しかも、インドとの貿易戦争でガソリン・燃料が止まって、国中がパニックとなっていた。更にたまたま、日本のお正月のお祭りのような時期と重なって、帰京する人がバスのチケットやガソリンを奪い合っていた。
 結局、ガソリンは闇の取引量が増えて3倍ほどの値段で買える雰囲気ができたころ、帰国したのです。不足は現在も続いているようで2016年1月3日より、計画停電時間が週77時間から週84時間へと延長。一日平均12時間の停電だそうです。

 震災の復旧もストップ、海外からの観光客も激減(おかげで僕はモテモテでした、客引きにですが)、レストランも開店休業(燃料がない)、停電はするし、タクシー・バス代は2倍近いし、公共バスもほとんど動かない状態でした(屋根の上まで満員になると出発)。
 それでも、ヒンズー・カーストがあっても、最貧国でも、結構いい国。物価は安いし、人はいいし、おもしろい。美しいヒマラヤが待ってます。ぜひ行ってお金を落として下さい。
プロフィール

関本塾 岡崎市

Author:関本塾 岡崎市
愛知県の山奥生まれ、岡崎市に住んでます。そば屋を27年、足つぼマッサージ7年、三味線も弾きます。
 趣味はたくさん、山登り・音楽(作詞・作曲)・オートバイ・旅行(バックパッカー)・手作り工作・猫のミーちゃん・生物医学、などなど、
 癌になって気付きました。心と体の開放(生き生きする事)が1番大事だって!!

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