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44 外国人が好きな、FUSSYな日本人?

 個人として、欧米人と日本人どこが1番違うか、分かりますか?。それは彼らがものすごく素直なんです、特にオーストラリア人は素直です。素直なニュージーランドの友達が<オーストラリア人は素直だ!>と言うんだもの。確かに、両国は同じに見えますが、ニュージーランド人の方が複雑な感情を持ってます(概ね!)。真面目と言う意味ではないんですが、ストレートで屈折がないんです。ある時オーストラリアの彼女が飛び込んで来て言いました、「彼が日本人の女性と寝た!」って、「んんん?」。「どうして知ってるの?」「全部、彼から聞いた」。それは彼らにとって、普通なんだそうです。あなたは、自分から浮気した事をすべて打ち明けますか・・?。単純?だけでもない。内に秘めたものあるんですが、色々複雑な事情を経験している日本人の私には、なんとも言えない気持ちになるのでした。20代の彼らの生活は、アメリカの青春ドラマそのまんまの世界です。その後、彼女は彼と別れ、あれこれあって(?、私は何でも知っている)、別の人と結婚しました。今はかわいい二人の子持ちです(エッ!私の子供じゃないですヨ、孫です)。

 そんな彼らの友人関係は、日本人の関係と少し違います。非常にフランクで、誰とでも簡単に友達になります。お店で隣り合っただけの人と、長時間友達のように時間を楽しみます。ただし、気が合わなかったら一回きりですが、その場その場で友達が出来ていく感覚は、友達がいなかったり、友達で悩んだりしている日本人にとって驚異だと思います。悩んでいる人に言いたい、世界は広い、あなたを受け入れてくれる。ただ非常にストレートという事は、ドラッグやお酒、犯罪に係わり易いって事でもあります。私も何度か会った、友人の友達は、ドラッグ絡みで銃で撃たれて亡くなりました。先に書いた、欧米の男女の自殺率の違いは、そんなところにあるのかもしれません。
 
数年後、彼女とオーストリアで再会しました。今で言うとミランダ・カーに似ているね。彼女は話の中で、元彼の名前を出して、マリオは彼に会いたい?と聞いてきました。時々は別れた彼と、みんなで会っているのでした。別れたカレシにですよ。二人の人格を一つにしようする様な、強い関係のカップルには考えられないでしょう、でもチョットだけ複雑な関係、ドラマでしょう!。その町では彼女が一人だけで住んでいる家や、両親の家に1週間以上滞在しました。大自然の中、両親や友達と楽しく過ごしました。一人で住んでいる女性の家に泊まるという事は、日本では考えられませんけど、普通なんです。この後、次の目的地でも、友達の女性の家に1週間ほど泊めてもらいました。次は男友達の家に泊まったけどね。

 何というか(おせっかい・偏見ですが・・)、欧米人の女性は今まで書いてきたように、しっかりした<ノー>・<固い殻>みたいなものが在って、自己が崩れにくいんです。日本の女性は<殻>みたいなものが弱くて、押されると壊れて、倒れていってしまいそうなのです。日本人は女性に限らず、<小集団としての殻>はあるんですが、そこを突破されるととても弱いんです。人格の内側まで受け入れてしまう様で、いったん仲間に入ってしまうとノーと言えないのです。レイプ被害はちょっと知り合った加害者から、受ける事が多いのです。時々、日本の女性が海外で一人旅行しているの見かけますが、あんがいヤンキーッぽい女性の方が上手くやれそうです。真面目で身も心もガチガチに固めた様な人は、なんとなく危なっかしい。ガチガチに成るのではなくて、心に殻を作るのです<傷つかない殻、自分の殻を持つ>事です。(先に書きました本当のプライバシーです)。
 以前お笑い<エレキレル>のコントで<ダメよ、ダメ、ダメ!>が、もの凄くヒットしました。これが受けたのは、ダメと言いながらも崩れていってしまう女性や、それを求める男性の関係・悲哀が面白かったのです。独特の微妙な駆け引き、その感覚の中に現代の日本人は居るのです。ですから欧米の人が見ても、イマイチ面白さが分からないでしょうね。Open your heart!は自分に殻が出来た後の話なのです、ええそうなの?ビックリしたぁ?。

ASK の続き・・。

 このaskを教えてくれたのはドイツ人です。30年来の友人です。あの頃は国際郵便でやり取りしてました。このaskのおかげで、色々な勉強が出来ました。例えば、オランダ国立美術館では、ほとんどのレンブラントの絵を見ました。普通は学芸員か美術の学生だけに許可されるストック・ルームまで、案内していただきました。私が求めたからです。楽しさが分かって、ますます日本では浮く事になったマリオでした。

 因みに南米のaskはすごい!。特にチリはいつでも・毎日どこかで、デモ・プロテスタントをしてました。私も強烈な催涙弾を浴びてしまった!。若者が主体ですが市民も応援してます。学生にとっては仕事のような感じですね、とにかく元気!。旧政権が市民を弾圧・虐殺した経験を持つ市民の<黙ってなるものか!>の感情は、事の良し悪しはともかく、政治が生きてるなぁ・・と思うのでした。

※① 欧米と言っても、ヨーロッパの北と南ではまったく違います。私がヨーロッパと言っている部分はフランス・ドイツから北の国々です。アメリカとヨーロッパでも少し違って、集団への依存度は、日本とヨーロッパの中間がアメリカだと思って下さい。世界の幸福度統計でも、やはり真ん中辺りにアメリカがあります。ドイツは少し微妙な位置にあります。ヒットラーの政権が日本と似たような状況を作ったからです。そういえば、高度成長も日本と同じでした。

※ 世界の自殺率の統計(WHO、2009年度)では韓国3位、日本13位、ヨーロッパ諸国は25位前後(欧米の特徴は男性の自殺率が女性に比べ3倍以上です。日本は2、3倍)。日本の自殺率の地域的特徴は、都市部では少なく、岩手県、新潟、秋田、島根、群馬など日本の伝統的な社会ほど高いようです。また景気にも左右されているようです。この辺りのデータからも、私の検証できない感覚が、マアマア当たってるな!と思えるのです。又、先に<自立と言う言葉>の中に書いた、<最低でも生きていける条件(3畳の部屋)があれば救える>は、このようなデータを見ても言えるのではないでしょうか。

 

43 ASKするヨーロッパ人? 


 先の項目で<世間が無いので、安心出来ないヨーロッパ>の事を書きました。では彼らが不安の中で暮らしているか?と言うと、そうではないんですね※①。日本人以上にのんびり暮らしています。じゃあその分何で安心しているか・と言うと<ask>なんです(話しの都合で単純化してます)。ask の意味は<求める>という意味です(単純に<聞く>という意味もありますが、他者に要求という意味が強いのです。話は英語圏だけじゃないですけど・・)。

 つまり何も言わなくて分かってもらえる社会と、要求して実現する社会との違いです(単純化してます)。これを具体的に言いますと、お父さんが帰ってくると「お風呂、ご飯。寝る?」ですんでしまう、これ以言わなくても夫婦関係が保てる社会と、「愛してるよ、君と離れていて寂しかった!チュ!チュ!」と、しなくては離婚してしまう社会との違いです(分かり易い!これで日本人が愛してるって、奥さんに言わない理由が分かったでしょう?エッ!別な理由からだって!)。つまり、彼らはaskすると幸せになるのです。安心感の条件です。これは会社の賃上げでも、家族の遺産相続でもそうですね。

 日本の場合、言わなくても分かってくれるだろう、が今まで言ってきた強い関係です。何故、相続問題を挙げたかというと、長男は未だに長兄相続の感覚が抜けなくて、両親が亡くなった後、他の相続人に「それは違うでしょう!」と言われ問題に成るからです。今までは何か言うと、結果的に損をする感覚でした(良い子にしてないとおやつをあげませんからね!=がまん)。この感覚は日本人でないと分かりません。この問題は欲だけじゃなくて家督相続とか、伝統的なものと現代の近代法とのギャップ、大きいですね。今では前もって言わないと問題になる世界に、来てしまっているのですね。この場合は、自分がaskするだけではなくて、いつでも自分がaskされる側にも成るって事です。覚悟あります?。

 なぜaskがヨーロッパ人の安心なんだろうと言いますと。<求めれば、何とかしてくれる世界>を信じているのです。信じられないでしょう。そこが日本人との大きな感覚の違いなんです(この感覚は私だけなのかな?、日本の貯蓄率が高いのは、結果的に政治が何もしてくれないと思っているから・・)。その感覚が分からないと、フランス革命で何十万人も王侯貴族や神父・修道女をギロチンなどで殺した感覚は理解できません(頭では分かってもね!)。<民主的・人権>とか言う言葉の中には、要求をはねつけると、殺されるかも?という感覚が中に潜んでいるのです。フランス革命だけじゃなくて、他の国でも一般市民が、支配者に対してask(要求)をして、実現させたのが民主主義だったんです。ですから、askは実現して行くものなのだと、市民感覚で理解しているのです。そうなんです、彼らにとって、要求は無視されるものではなく、askは権利であり、安心のツールなのです。選挙の投票率が高いのが、納得できます(別な言い方すると、国家は自分達のもの!、選挙は金返せ!なのです)。

 ですから、日本のように要求を簡単に、上手に相手を傷つけないように受け流す、適当にごまかす、といった<とりあえず>の対応はしないのです(これもケース・バイ・ケースですが・・、比較の問題で言ってます)。学校へのaskも、内申書・内申点が下げられるから何も言えないんですね、今は少し変わってきました。チョット前までは<物申す事>は<祟り(たたり)>に触れるような感覚でしたから。皇室関係は今でもそんな感じ・・(何事も、しようと思わない人は、何も感じないけど!)。ヨーロッパの社会が風通しが良い、とか大学の研究者も、日本より欧米のほうが研究しやすいというのは、この辺りが元ですね。

悲劇から立ち直れない日本人 ②


欧米の世間(せけん)の事を一部書きましたが、もう少し・・(もちろん、世間という英語はありません、すでに概念が無いのですから)。日本での<世間>の意味は、<村社会>の共同認識という概念です。それは同質の狭い世界でしたから、そんなこんなで昔は上手くいったのです。欧米ではそんな安心感は持てません、ですから、欧米で生活すると心がスースーするのです。しかし、今ではあちこち異質な文化が入ってきています、どうするのか?となっています。それについても別項で書きましたので以下略。

 今では世間と言うと「世間体を気にして・・」とか、ネガティブな意味で使われます。自由が制限されているような感じですね、しかし、日本人の多くはその世間という感覚に、実は!本当に!心底!、安心感を貰っているのです。私もそうなんです。悪い奴がいても誰かが、皆が「そんな事は世間が許さない!」と、言ってくれる、許さないだろうと無意識に思っているからです。全員がそう思っているから、世界一安全な国なのです。とっても良い事ですが、実は無意識・無自覚で、お任せ体質なのです。つまり世間という人は居ないし、今の世間は助けてはくれないのです。何か事が起きた時に、身を預けてた分だけよけいに動揺するのです。事件事故、犯罪被害者に身内がなった時、立ち直れない・立ち直りにくいのは、繊細な愛情のゆえなんですが・・。自分が今生きてるって言う事は、<日頃から身に起きるすべての問題の、結末を引き受ける覚悟>も必要なのです。自分の人生を自分で引き受けていないと、何かあった時に受け止められないのです。正直あまり強くはいえません、私も動揺すると思いますから、そういう認識を持つそれで良いのかもしれません。

※① 国連の2013年度幸福度調査では1.デンマーク2.ノルウェー3.スイス4.オランダ5.スウェーデン、アメリカは17位、日本は43位でした。私が言っている、<集団に依存しない社会>が上位です。幸福そうに見えないデンマーク人ですが(超個人的意見です)、知らない喜びは、手にしないと感じないのです。このデータは国連のサイトから直接PDFでダウンローで出来ます。170ぺージですけど!。

 話は変わって、オランダはアムステルダム駅前のフレンチ・フライが最高においしい。お勧めです、何度も食べた!あれからケチャップ付ける事にした、確かに幸福!(笑い!)、蝋人形館も面白い。オランダは本当にバラバラな国です、夏のアムステルダムに行っても外国人しかいない。働いているのほとんどが外国人だからです。市の人口の半分は外国人になるそうです。そんなんでも、ちゃんと国が維持できてるのに驚愕です(国は民族じゃないんですね)。

 ノルウェー・スウェーデン、ンンン~~?暗い!寒い!。友達と会うのに、1ヶ月も前から約束するなんてわったすぃにはできない!私は彼らの名前は発音できないんです。スイス、友達いる、よく長文のメール来る、そのうち日本に呼ぶ。
※ 《あなたが美しいかどうか、彼に聞かなくても確信していい「私は美しい!」と。しかし、あなたが民主主義の国に住んでいるかどうかは、あなたが市や国に、あなたの周りの問題を要求してみないと分からない。》

悲劇から立ち直れない日本人?

42 何故ノーと言えないの?悲劇から立ち直れない日本人?
 私は仲間と共に議会や市役所・文部省等に、請願・陳情・質問状など沢山出してきました。しかし、そのほとんどが、無視されるか議論も無しに棄却されました。オランダの市議会を傍聴した時の事ですが、「どうぞお入りください」と、外国人である私を議場に招き入れてくれました。その後も、議員と気軽に質疑が出来る環境が整っていました。スウェーデン政府に手紙を出した時も、責任者の署名入りですぐに返信がありました。この開かれた政治の様子は、経験しないと分かりませんね。その後ドイツでの<緑の党>の議員との会談は、こうした経験があって、日本では出来ないけどドイツでは何とかなると出かけたのでした。

 日本の場合は、市長にすらなかなか会えません。何度も面会を要求しましたが、しかるべき方法でないと会えないのです。彼らの村社会のルールに則るか、入らなければいけないんです。言ってみれば肩書き・縁故・後援会ですね。何故会えないか?、市民である私は、市長にとって関係ない存在だからです。市役所もなかなか市民の話を聞いてくれません。親しくなって、甘え甘えられる、ナーナーの関係になると少しは叶います。んんん・・、どうも変だ。私のイメージの民主主義とだいぶ違う。

 そこで、どうやって日本の行政と戦う(?)か?と言いますと。ほとんどの場合、個人で言っても門前払いです。肩書きがあれば良いんですけど、肩書きのある人は世の中にしっかり馴染んでいますので抗議・要求には参加しません、それだからこそ肩書きを与えられたんですけど・・。ですからこちら側も、<村>みたいなものを作って対抗します(向こうから、そう見えるという意味です)、団体ですね。そして、徹底的に外部者の姿勢を通すのです、彼らに馴染まない事です。それだけです。外部者としての姿勢がよく分かりませんね、違う価値観や文化で話すという事です。つまり彼らの意識を<村社会>の外に出して行くのです。行政側に<今まで処理してた様に、「前例が在りませんので、出来ません!」ではいかないぞ!>と、思わせる事です。簡単に言うと、外圧ですね。団体旅行の集団のように、村社会は外部・外圧に弱いからです。そうすると、ようやく本当の責任者らしき人が出てきます。後は、交渉しだいです、<村社会>に生きてきた人間は、外に出ると弱いんです。この<本当の責任者らしき人>、とは市長や議員ではないんですね。そこが面白い!この事は江戸時代の支配構造で書きましたので・・。

 元東京都知事の石原氏は昔、「ノーと言える日本」という本を出版して自らの主張をしようと問いかけましたが、でも何故ノーと言えないのかは分かっていないと思います。村社会に住んでいる人達は集団としてはノーと言えるんです(時間がかかりますけど)。ただし、個人では言えないんです、その事がこの世界において一番問題なのです(集団ではなく、あなたはどうなんですか?と聞かれる世界です)。そのノーと言えない理由が、集団への強い依存なんです。同時に、<みんなもノーじゃなきゃいやだ>ではなく、僕はノーだけど、みんなはイエスでもいいよ!と言えることです。果たして、ご高齢になっても<日本民族>にこだわる石原さんに言えるのでしょうか?。

ふれあいの続きー③


※1- 多くの日本人は、それぞれ勝手に振舞う事を、個人主義と思っているようですが、少し違いますね。バラバラな個人を尊厳・人権として捕らえてるのが個人主義です。日本人の個人主義は<それぞれがが勝手に好きなことをする(お金儲けと家族のため)>、ただただ忙しい?否、みんなではないですね!。

 ロシア人と、その後どうなったのかチョット書きます。彼らは歯科医のグループでした。初めはセルビアやウクライナの事があって、私としては話しづらかったんですが、コーヒーを飲み、ミルクを飲み、お茶を飲みながら話しました。飲んでばっかですが・・(ミルクは牧場に行ったからです)。ついに、聞きました。ロシアの政府・プーチンの事どう思っているの?。そしたら「good!」、私はチョット引きました、すると間があって「but,too strong!(強すぎ)」。そのちょっとの間が、大事ですね。それで共通の認識が取れました。それ以上細かくつめる事は無いのです<大人の認識>と、言っていますけど・・。犬の場合ですと、初めての犬同士は匂いを嗅ぎ合いますね!そんな感じ。

 よく外国でのマナーとして、宗教や政治の話をしない事、とか言っていますけど、チョット違うね!。親しくなるのには、同じ事・違う事を理解しあう事なのですから。よく「マリオさんは、どうして外国の友達が多いのですか?」と、聞かれますが、何でも話すからです。捕鯨・馬肉の問題やパレスチナの問題もよく話題にします(ほとんどの欧米人は捕鯨や馬を食べるのは信じられないのです)。パブでも私が日本人だと知ると、話しかけてきたりします(ふっかけてくるの)。そこでは私は、日本を代表して捕鯨擁護の話をします。すると不思議な事に、グリーン・ピース支持の人ともケンカにはならないのです。意見の不一致は話題作りにちょうど良い、そんな感じです。そういう人と、もうすでに30年付き合っています。 

 そんなこんなでロシアの人達と仲良くなって、夕食をおごってもらう事になりました。そのディナー、ちょっとした事件があって面白かったですよ。来春ロシアに行こうかと思ってます。モスクワに行ったら99%、再会です。彼らの生活の一端を見るのが、今から楽しみです。初めに書きました<外国に行っても、よく人に頼まれる>と書きましたが、実はおごってもらう方が多いのです。

先の売れあいの続きです、②

 人と人の距離は非常に面白いのでもう少し・・。普通日本人は一緒に歩いて移動する場合は、離れないで団子みたいになって歩きますね。誰かが離れると、追いついてくるまでみんなで待ったりします。誰かがトイレに行った場合は、みんなで待っていますね。ところがヨーロッパ人は違うんです。

 いつか、私とカナダ人・フランス人とか4カ国の人が、8人ぐらいで1日中町を歩きました。こういう事はよくあるんですね。先月の旅でも何度かありました。どのように団体として行動するのか?これは私の興味の対象です。とにかくバラバラで歩くんですね、それぞれ2~3人でグループを作って、それぞれが道路の右に行ったり左に行ったりして。その各グループのメンバーが同国人同士で固定しているかというと、それぞれがコロコロと移動して行くんです。私も誰かと話しながら歩くんですが、メンバーが変わるので結果的に、メンバー全員と個人的に話した事になります。私はある時期より、最も年寄りになりましたが、年齢も性別・国籍もありません。目的が同じなら、初めて出会った人とでも会話が弾むのでした。

 そして、各グループの歩くスピードが違うので、あるグループは遅れます。メンバー全体としては50メートルぐらい離れて、見えなくなることもあります。私は日本人なので、ちょっと待とうよ!と言いたいのですが、観察します。すると、誰が言うのでもなく自然にある一定の距離で、メンバー全員がそろうのです。先回の旅ではロシア人と一緒になりましたが、一人がカメラのキャップを無くしたと言うので、元の場所に戻っていきましたが、後のメンバーはまったく待つ様子はなく、本当に離れたままで進み(2時間ぐらい)、途中で合流しました(※1)。団子状態・集団で歩くアジア人が、旅先で目立ってしまうのはこの辺にありますね。

 ヨーロッパ人の距離は、離れてはいても、お互いに自然に観察しあっているのです。これは凄いですよ!、個々としての感覚+遊牧民の感覚ですね。これが欧米での<世間(せけん)>の感覚です。中に入っても親密には感じないし、外からも密接に見えないです、でもしっかり繋がっているんです。そんな感じが日本人には一体感の無い、寂しさを感じてしまうのです。この雰囲気はその国で生活すると、もっと大きく感じると思います。その<世間>の無さが、日本と欧米社会とのもっとも大きな文化の差です。(この辺は個人の感覚ですから正解は無いのですが、私はその正解の無い、感覚の世界を伝えたいと思っているので仕方ありませんが・・)

 <バラバラになりながらも、個々が繋がっている関係>は、この本(?)の初めから書いている<個人が集団に強く依存していない社会>の関係です。そんな国家が、世界中で最も政治的な腐敗が無い社会と言われる、デンマーク・オランダ等の社会です。個人の自由は徹底的に保障され、ドラッグも売春もほぼ自由です。議会と市民の関係も非常に解放されています。議員という社会が<村社会>の様に団子状態に固まってはいないのです。何故そうなのか、グループでの歩き方を見ても、なんとなく理解できると思います。こういった個人の関係が議会と市民のあり方、市民と国王や天皇とのあり方、外交のあり方を無意識に決定しているのです(あり方ですよ、直接の中身ではないです)。これはその国に住んでいる人自身が、自覚しているかというと、たぶん気が付いてはいないと思います。

 団子状態で固まっている人達<アジア人(アメリカ人も少しそうです)>は、犯罪に遭いやすいのです。自分達の仲間がはぐれないようにと、仲間だけを見て、外を見ていません。そして、自然と役割分担をしてしまい、誰かが見張っていてくれるだろうと安心しているからです。つまり、外から見ていると、ガイドに任せている団体旅行の人達は非常に無防備に見えます。この辺の事はすでに述べていますね。

 集団といえば、国家間の集団について。日本政府が参加しようとしている、集団自衛権の問題です。実は日本人と欧米人とでは、集団という認識・意味とその対処の仕方が、まったく違うのです、分かりましたぁ?。安全保障を期待して入っても、後ろからミサイル数発撃つだけで終わりだったり、集団保障に入らなくても、援護が受けられるかもしれないのです、今のシリアがそうですけど・・。要するに、自国の都合で条約は変わる、歴史は語る!のです。異文化は自分の期待通りに行かないものです、そして大きな集団ほどコントロールできないのです。

41 実際のふれあいの感覚 ①


 シェークスピアやトルストイを読んで、日本人分かるのかな?と思う。私には理解できなかったんです。何故か?今は理解できない部分が分かったのです。人と人との実際の距離が違うのですね、メートルです。実際に測ってみました。日本人は友人同士で立って話す場合の距離は約1、2メートルです。しかしヨーロッパ人は約0、9メートル以内。パブやハウス(ディスコ)やパーティーで音楽がうるさいと30センチぐらいにまで顔を近づけます。これは握手した時の距離に近いのです。何故か、ツバが飛ばないように話すのが上手です。まったくの個人的なデータですが、現実にかなり近いと思います。日本人の距離は、お辞儀をした時の互いの頭がぶつからない距離が、適当なんですね。初めは異文化の人との距離の違いは、非常に違和感があります。お互い黙ってはいますが、こういった距離の違和感を持って、日本人と海外の人とが接触をしているのです。

 ですからヨーロッパ人は親しくなっても、自分との距離を縮めない日本人は親しくない関係と写るかもしれないのです(その辺は個人の理解力ですけど・・)。逆に日本人の女性はヨーロッパの男性に対し、近づいて話しかけるので<気があるのかな?>と思うかもしれません(マア、それはそれで良いのですが・・)。
 
こうした肌合いの違いは、はっきり分かる感情表現以外に、沢山あるのです。例えば<足を汚いと思っている、触るのはなんとなくいや><体を見せる・見られるのは気にしないけど、触られるのは親でもいや>といった感覚が、なかなかそこで生活しないと見えてきませんね。そうした何気ない日常の常識・文化の襞に隠れている感覚・感性ですね、それが大きな意味で文化を創っているのです。言葉の使い方もそうですね、ですから意味は分かっても、外国文学がいまいち理解できなかったのです。
 
 日本人が国際会議での場で、なんとなく浮いているのは、仲が良いとか悪いのではなく、外国語が出来ないのではなく、その辺にあるのです。日本のリーダーには外国人の友達が居ない、又はそういう事をアドバイスできる人が居ないのです、親しくなるのには国によって違う、親しくなる方法があるのです。たぶん日本の外交は親しくなる方法を知らない、だいぶ損をしているね。

 会議をする目的は議題にあります、しかし、本当に重要なのは、話し合える関係になる事です。そして、意見の違う問題に対して議論する場合は、離れて大きな声で話すのではなく、相手にさらに近づいて穏やかに話すんです。離れて大声は決裂のサインです。日本人は話し相手の距離は気にしませんが、ヨーロッパ人の感覚では距離が大事なんです。ただし、政治家本人が個人的に豊かな魅力があり、今後も関係を続けたいと思われるような人物でないと、親しくはなれないですね、当たりまえだけど・・。

2015年10月末にネパールに行きました。


 ネパールは北海道の2倍ほどの国、2週間もあればぐるっと回ってこれるだろうと思ったのですが、これが不可能。地図に道があるところは凡そバスで行ける。ところがネパールは山ばかりで道が狭くて悪い。カトマンズから南は半分はだいたい行ける。しかし、半分以上は行けない。一番良い道、カトマンズからポカラまで200キロ、バスで7時間かかる。

 移動が恐ろしく困難なこの国で、同年4月に地震が起きた。しかも、インドとの貿易戦争でガソリン・燃料が止まって、国中がパニックとなっていた。更にたまたま、日本のお正月のお祭りのような時期と重なって、帰京する人がバスのチケットやガソリンを奪い合っていた。
 結局、ガソリンは闇の取引量が増えて3倍ほどの値段で買える雰囲気ができたころ、帰国したのです。不足は現在も続いているようで2016年1月3日より、計画停電時間が週77時間から週84時間へと延長。一日平均12時間の停電だそうです。

 震災の復旧もストップ、海外からの観光客も激減(おかげで僕はモテモテでした、客引きにですが)、レストランも開店休業(燃料がない)、停電はするし、タクシー・バス代は2倍近いし、公共バスもほとんど動かない状態でした(屋根の上まで満員になると出発)。
 それでも、ヒンズー・カーストがあっても、最貧国でも、結構いい国。物価は安いし、人はいいし、おもしろい。美しいヒマラヤが待ってます。ぜひ行ってお金を落として下さい。

反対サンタ?

   反対サンタ
 クリスマスが近づくと思う、私は反対サンタ。プレゼントをもらって喜ぶのは子供。その子供にプレゼントあげてうれしいのは大人、私はその子供のプレゼントを取り上げて喜ぶ、反対サンタ。チョット違うか?。ラベル(?)が違う。自分が自分の身内にプレゼントする。そりゃ言ってみれば共に<私達の世界>の出来事。恋人でも、友達にでもプレゼントでも、お返しがあったり、感謝されたり・気持ちだけでも、どこかで何かは少しは戻ってくる。そりゃーお互い楽しい、良かったね!。でも!私のはそうじゃない。プレゼントをあげるサンタが一番うれしいのです。

 町内会のお掃除ボランティアでも、自分の住む所を掃除するわけですから、大きな意味で自分の家掃除しているようなもの。ある意味自分の都合でしかない。地球環境問題でも、自分の住む地球を何とかするわけだから、本当の意味で他者に対する<無償の奉仕活動>でもない。自分の為にする事を奉仕活動というのも変だからです。よく企業では<死に金を使うな!>と、言います。損しても良い・タダでも良い、後で戻ってくる所へ損をしろ、というわけですね。サンタも企業家もボランティアも、どっかで見返りを期待してたら同じってわけかな?。

 人間だから、絶対に損得を考えてしまうから、見返りを考えないなんて出来ない。そうかもしれません。私は昔からボランティアか活動をしてきたから、こういう事いつも考えているのです。売名・自分の利益の為と思われないかとか、そうでもないとか。ある時気づいたんです。そうかキーは、<他者の存在だな!>と。たとえ身近な人・隣の人に何かしてあげたとしても、自分にとってまったく別の世界・他人として何かしてあげたのなら、それは見返り無しって事なんだ、と。自分の世界がちゃんと出来て、私と私達の世界の他に、<他者の世界が広がっている>のなら、そこにはちゃんと本当のサンタの世界が広がっていうんじゃないかって、そう思うのでした。それが反対サンタナノダ!

 私はご存知のように外国によく出かけます。12月は特に忙しい(エッ?シィー!違うってぇ!)。20年ほど前、ヨーロッパでのアパート(友人の)に帰る時の事。季節はもうすでに冬でした。ヨーロッパの夜は早い。その日の夜はジャンパーを着ても寒かったので、私はアパートに急いでいた。石畳と石積みのビルが並ぶ狭い通路を抜け、暗い空の広がる広場を斜めに横断、もう少し歩けば彼のアパートに着くところだった。

 ヨーロッパの都市には必ず幾つもの広場があります。市民の憩いの場所。朝から杖を付いた老人が集まり、おばさんや若者がたむろする。しかし、すでに暗い、ここには結構危ない人が居るので用心するのだ。私は広場を横目でにらみながら通り過ぎようとした。ガラーンとして人気はまったく無かった。しかしよく見ると、広場の端のベンチに、黒い老人のシルエットが見えた。ホームレス?、ベンチにじっと眠るようにコートの襟を立てて老人が座っていた。足元には紙袋が置いてあった。私は立ち止まった。しばらくじっと見た、やはり周りには誰も居ない。そして走って老人の所に行って、彼の手を取って小銭をすべて彼に渡した。彼は一瞬、私を見上げた、しかし薄暗いので私の顔は見えなかったでしょう。彼は何も言わなかった、私も何も言わない、急いでアパートに帰った。

 彼は私が誰だか分からないし、分かったとしても二度と会う事は無い。まったくの偶然に会って、瞬間目が合っただけ。その事に意味があるのか無いのかまったく分からない。誰も見てないし、まったくの外の世界との係わりだな~~、と思った瞬間、胸いっぱいに感動が広がった。小銭をあげただけなのに、何故か、何故か感動が止まらなかった。

いじめは何故?いじめは無くせない?

 いじめは無くせます。いじめは先に述べたように閉鎖された<強い関係の集団>の中で起きます。まずは現状を自覚する事です。今の学校の中は<長時間・高い壁で閉鎖されている社会>なのです。学校関係者の多くは、学校〔大学〕を卒業して教師になります。ですから外の社会を知りません。何がおかしいのかまったく気が付きません、そこが問題ですね、明治以来の百年前のシステムをそのまま使っています。教科書だけは違いますが・・、他はほぼ同じです。校舎の作りも・教師の教え方も、生徒への対峙の仕方、カリキュラムも同じです。がっかりします。明治以来何もかも変わったと思っても、変わっていないものがあったんですね。明治と言えば機関車さえろくに走ってなかった時代ですよ。今は飛行機ですよ!他を知らないから、他の教育システムを知らないから何も出来ません。システムの細かい事はここでは書きません、大雑把に書きます。
 
 まず、生徒を拘束する時間が長すぎる。1日の大半を授業と部活で過ごさせる。しかも本人の選択もなく義務教育という、強制です。小学生の様な子供に、まるで大人同様に8時間労働をさせているようなものです。小学校から大学まで、終了式や卒業式に渡されるのが成績表。それに向かって競争させられるわけです。児童虐待です。確かに、労働ではなく、本人のための勉強かもしれませんが、やっていることは同じです。ある意味、選択の出来ないところで、労働のような事をさせているわけですから、もっとひどいかもしれません。じっと何時間も座ってじっとしているのは体にも、脳にも悪いし、全員に同じ事をさせるのは不可能。おちこぼれを作り出すシステムです。

 又、小・中学校には、暴力が未だにあります。僕も経験しました、それをダメと言うのが教育の目的でもあります。それが起きたら社会では犯罪です。いじめが大人社会より深刻だとしたら、大人の社会より子供の生活が厳しいからです。自由が無いからです。

 子供も親も当たり前だと思っているから、そのストレスに気が付かない。楽しい思い出もあるから、それに気が付かない。では、大人のあなたに、もう一度小学校から高校まで通ってください。と言われたらどうしますか。行かないでしょう。もしあなたが、ドイツの学校を知っていたら、今の日本の学校にもっと行かないでしょう。教育・教育システムに問題のない国はありません、しかし、日本ほど(韓国も・儒教でお友達国家)子供の人権を無視した教育はありません〔そもそも教育システムが無い国もありますが・・〕。その中で育った子供が大人になるわけです。民主主義の基本<人権>が、危ういわけです。しかし、子供には優れた適応能力がありますから、我慢を我慢と思わず学校に通っているわけです。もっと、学校や教育に口を出しましょう!。

 僕がいじめ問題によく言う例えがあります。<ニワトリ小屋に、ニワトリをいっぱい入れると、どうなる?>と言います。必ず毛をむしられたニワトリが2~3羽出来ます。そのうち弱って死にます。これはニワトリだけでなく、ネズミでもザリガニでも〔共食いしますが・・〕どんな生物でも狭い空間に閉じ込められるといじめ合うのです。人間も同じです。理性や他人への理解、生命の大事さを教えても、この壁は乗り越えられません。

①まずは学校生活の時間を減らす事、
②学校やカリキュラムの選択を可能にする事、
③学校に行かなくてもよいシステムを作る事。
④暴力を許さない。当たり前ですが、見逃されています。

 これらは人権の問題です。これは大人の社会では認められていることですよ、何故子供にダメなんですか?今の学校はクラス・部活という単位・集団を、まとめていかなければならない様になっていますが、まとまりに入りにくい子供をどうするか?がない!。排除・いじめの原因です。ですから、学校に生徒を通わせる事自体が、いじめの原因になっているのです。ですから、①だけでもいい,早急にすべきです。学校の枠を作り直していく事がまず重要で、そこから個々の問題に移っていかないと<いじめが被害者の問題>に成ってしまう。いじめは被害者の問題でなく、<いじめは加害者の問題>なのです。そして、加害者は大人である私達です。

終身雇用の次は職労自由主義と言って欲しい?


39 終身雇用の次は職労自由主義と言って欲しい?

 今、終身雇用制度が急速に壊れてきています。ほとんどの人が否定的ですけど・・、仕方がないグローバリズムのせいだから、と思っているようですね。私は元々終身雇用が嫌いだったので、何も感じませんが・・。元々、終身雇用制は幻想です。戦後の高度成長からリーマン・ショクまで、たまたま日本の経済が右肩上がりで、人手が欲しくて、インフレが続いていたので、勤めていれば給料が上がっただけなのです。バブルだったから給料が上がって、首にもならなかったのです。企業のほとんどは、インフレ分の賃金を昇給として労働者に払っていたに過ぎません。バブル崩壊後、企業はどんどん人員整理をし、派遣労働者や契約社員だらけになりました。これが日本の終身雇用制の現実です。ですから、デフレの今、ほとんどの企業の給料は上がってはいないのです。これが日本の経済システムです。

 売り上げが減り・赤字が続いても、解雇はしない。それって企業じゃないでしょう。実は、ほとんどの日本の企業も、入社時を過ぎれば実力主義でした。役所や一部のファミリー企業を除いてはですけど。つまり閉じた実力主義ですけどね、その一部が東大を中心とする学閥・学歴主義です。しかし、真の実力主義になれば、出身大学も人種も性差も関係無くなります。教育の問題・受験戦争も無くなるのです。

 拡大・効率を求める企業にとっては実力主義は当然の成り行きですが。終身雇用も、外国の実力主義の企業と比べても、そんなに変わらないんじゃないの?。と言う感じです。実力主義といっても、実は結構甘いのです。たぶん実力主義社会の方が自殺者が少ない(今の所、分析しようがないので)、これってスゴクな~~い!(ありのまま!って事)。一生、同じ仕事をして、同じ世界で過ごす、これって本当に良いんですか?。人生は一度ですよ?。

 名前がいけないですね<実力主義>、実際には良くも悪くも労働者なのです。始めから、労働者の権利を勝ち取るつもりがなければ奴隷と同じです。賃金を会社と交渉する事は元々自分に責任があったのです。エッ!そうなんですか?。あなた~~は、誰かにお任せしていましたね?。お母さんにですか~~?。(これを擬似母子関係と言います)

 つまり何と言いますか、名前が悪い!。名前を<実力主義>ではなくて、<職労自由主義>と言って欲しいのです。<労企自由主義>でも良いんですけど・・・。自由と言っても、どんな仕事でもできるという自由じゃなくて、チャンスがいつでも・誰でもあるという事ですね。

ネパール、ヒマラヤ、アンナプルナ、行った!





プロフィール

関本塾 岡崎市

Author:関本塾 岡崎市
愛知県の山奥生まれ、岡崎市に住んでます。そば屋を27年、足つぼマッサージ7年、三味線も弾きます。
 趣味はたくさん、山登り・音楽(作詞・作曲)・オートバイ・旅行(バックパッカー)・手作り工作・猫のミーちゃん・生物医学、などなど、
 癌になって気付きました。心と体の開放(生き生きする事)が1番大事だって!!

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